さわのはな歳時記 2000年1月−12月

海外進出   2000.1

 2000年を迎え、影法師結成満25年を迎えた。夫婦でいえば銀婚式、世紀末の年に銀婚式をやれるなんて幸せなことだ。ミレニアム記念は何をやるのですかとよく聞かれるが、今は秘密。あっと驚く歌と行事で、今世紀を締めくくってみたいと思っている。
 2000年記念というわけでもないのだが、影法師が海外進出する事になった。と言っても本人たちが直接行くわけではなく、影法師の出演したテレビの番組がなんと英語版で海外に出て行くことになった。これは国際交流を目的に途上国にテレビ番組を無償で提供している放送番組国際交流センターが選んだもので、番組は昨年放送されたYBCの「おいら長男っこ、つらいんです」である。一緒に選ばれた番組の中には「それ行けアンパンマン」やNHKの課外授業「ようこそ先輩」「腕に覚えあり」など、有名かつ連続ものが多く、選ばれたのはわずか12番組。うち単発ものは私たちの番組を含めて3本だけである。
 年末、英語版のビデオが我が家に送られてきた。タイトルは「It's Tough Being the Eldest Son」となっていた。英語に堪能な友人に教えてもらったところ、直訳すると「長男のがんばり」ということになるそうな。頑張る長男、つらい長男、元気な女性が中心の内容だけに「合ってるんじゃない」と言われた。ナレーションは英語、私たちの歌と話は英語の字幕、見ていてなかなかおもしろいものである。これでもっと英語が解ればもっと楽しめるのに、もう少し英語を勉強しておけばよかったと少し後悔した。
 私たちのさわのはなへの取り組みも、かなりの時間を割いて取り上げられている。この番組を見た外国の人たちが、どのような印象を持つのかとても興味のあるところである。
 それにしても方言を字幕で伝えることができないのは本当に残念である。
 

有機資材     2000.2

 昨年、テレビの番組で有機農業に関した話題で取り上げられたこともあり、様々な反響をいただいている。一般の方、農家の方からの問い合わせなどに混じって目立つのが有機農業に関した生産資材を取り扱う業者の方からのお誘いである。
 私たちは私たちなりのやり方で有機農業に取り組みますからとお断りするのだが、中には何回も電話をしてきて、断っているにも関わらず資料やビデオテープ、更にはサンプルの商品まで送ってくれる方もいる。特別の有機肥料を薦めるのは当たり前で、イオン農法、炭を使う農法、特別な石を使ったものから漢方農法なるものまで様々な農法があり、それなりに理屈ももっともで実践しておられる方もそれぞれにたくさんいるようだ。
いろいろな農法の話を聞いているうちに、セールスポイントの傾向が見えてきた。それは「昔はこのような成分がたくさんあったが、今は無くなっているのでそれを補い作物を丈夫に育てるためにはこの農法の手助けが必要だ」とういものである。人間も栄養のバランスをとるために様々な栄養食品が売られている。アンバランスの原因となる食生活や環境を変えることなく不足したものを補う事の出来る時代である。売り込んでくる有機農業資材も欠落した原因をそのままにした、対処療法的なものが多いのである。
 作物の必要とする要素が欠落していったことには様々な原因が考えられるだろうが、一番は換金作物の単作による障害が一番である。元来、自然界は様々な生物が生きて行くことによりバランスが取られているのであり、とくに水田一本になった私たちのまわりはかなりバランスがくずれているのだろう。
 一度にいろいろな事は出来ないが、今年はたんぼに少し違った足跡をつけて、変化を眺めてみようと思っている。


父さんのむかしばなし 2000.3

笹舟浮かべて 遠い海を思い
魚を追って ずぶ濡れになった
お陽さまの光に 小川は輝き
はしゃぐ僕らの 声が響いてた
 あの楽しさを 君に教えたいけど
 コンクリートの小川に 魚は住まない
(詞 あおきふみお)
 この歌は影法師が2月に制作したカセットに入っている「父さんのむかしばなし」という歌である。私たちはコンサートの最初にこの歌を演奏し、聞いている人の反応を見る。
 私たちが子供の頃、30年ほど前までの農村の風景を歌った歌である。その後、土地改良事業が盛んになるとともに小川はコンクリートになり桑畑はたんぼになっていった。そして、魚や桑畑が消えるとともに子供たちの遊び場はテレビの前に代わっていった。
 この歌を聞いた人から、この歌に同感したという感想をいただくようになったのは、環境問題が盛んに取り上げられるようになったここ数年の事である。ところが影法師がこの歌を歌い始めたのは15年も前のことである。なんと未来を見通した歌なんだろう。ようやく世の中が影法師の歌に合ってきた。そこでこの歌もカセットテープとして発売を開始した。
 この歌と共にカセットに入っているのが「舵を失したこの日本(ふね)は」という曲である。この2曲で今世紀を、そして影法師の4半世紀を締めくくり、新たな行方を探って行きたいと思っている。
 結成満25年を迎え、影法師にふさわしいテーマを募集します。その中から新しい歌を創りたいと思っているので、ぜひいろいろなお話をお聞かせください。
 影法師のカセットテープ・CDは全種類TASの地場産センターで取り扱っています。


熟   成             2000.4

 先日、恒例の酒蔵・利き酒コンサートが行われ「鄙の影法師」の新酒を口にした。影法師のボーカル横澤の育てた幻の米「亀の尾」で毎年1樽だけ仕込まれる。純米酒のため米と水だけで出来ており、空調のない小さな酒蔵で造られるこの酒のできばえは、仕込みの時期の気温に大きく影響される。「鄙の影法師」の造りは7回目を迎えたが、今年はその中でも特に熟成された味に感じられた。杜氏さんの話では今年は仕込みの時期の気温がとても低く、熟成するまでとても時間がかかったそうである。昨年のお米の出来がとても良かった事に加えて、そのことが味に大きく影響したようだ。
 熟成と言えば、雪を掘りその中から取り出して食べる野菜は、通常の収穫期の秋よりも甘さが増しとてもおいしいものである。冬の野菜の保存法として、畑の一カ所に集めてわらや土で覆ったり、野菜を畑にそのまま残したりと、雪を天然の冷蔵庫代わりに使う方法は多くの農家で行われている。寒さから身を守るため野菜が糖度を上げることを利用したものである。最近は米沢の雪菜がテレビなどで取り上げられてすっかり有名になったが、雪菜に限らず多くのものを雪の下に残して生活してきた。スーパーに行けば季節を問わずなでも求めることが出来る時代だが、雪の下で旨くなった野菜を味わえるのも冬の楽しみである。
 雪が降ると畑の中の作物の場所を特定することができなくなるため目印に棒を立てておくのだが、今年は大雪でその目印がすっかり見えなくなってしまった。今年の秋は旨い野菜を食べるため、畑のあちこちに長い棒が見えることだろう。


新酒で乾杯             2000.5

 先日、新酒の「鄙の影法師」の試飲会と影法師の演奏会をくっつけた「酒蔵・利き酒コンサート」がひらかれた。昨年までは利き酒コンサートと銘打っていたが利き酒がなかった。今年から利き酒も加わり、看板に偽り無しと言うことになった。今年はかなり早くから多くの問い合わせがあり、多数の参加者が予想されたためいつもより多い70脚のいすを準備したのだが、それでも多くの人が立ち見となってしまった。
 「鄙の影法師」は影法師のリーダー横沢が育てた幻の米「亀の尾」で1樽だけ作られる。純米酒なので米と水だけで出来ている。今年は仕込みの時期に当たる1月が暖かかったので杜氏さんたちは大変心配したようだが、例年と比べると熟成された味に仕上がっていた。
私たちは年間40回ほどの演奏会をする。そのすべてで「鄙の影法師」で乾杯し小さいコップ1杯を飲み干す。出来立ての新酒から1年の間40回ほど飲んでみるのである。そうすると不思議なことに気付く、この酒は時間が経つにつれどんどん旨くなって行くのである。古酒に適した酒は米を選ぶと言われている、南では山田錦、東ではやはり亀の尾が筆頭に上げられるのだそうだ。
 先日籾で貯蔵しておいたさわのはなをようやく籾すりをして冷蔵庫へ入れた。この米もまた収穫直後よりも暑くなるこれからが本領を発揮する米である。
 「鄙の影法師」が誕生し酒に関わるようになってから、影法師は有名な酒の貰いも多くなった。メンバー中ので私が一番酒に弱いことがかえすがえすも残念である。


訃  報                      2000.6

 春作業も本格化したある日、突然の訃報が飛び込んできた。
 有機農業の町、宮崎県の綾町の元町長、郷田實さんが亡くなったという知らせだった。つい先日、自ら育てた無農薬のとてもおいしいミカンを頂戴したばかりだったので信じられないという思いと、同時に心の中に大きな穴があいてしまったような脱力感に襲われた。
 昨年の田植えの後、私と影法師のリーダー横澤はテレビ番組の収録のため綾町を訪れた。その時、私たちに熱く有機農業の目指すものを説いてくれたのが郷田さんだった。郷田さんの育てた綾町の有機農業は農水省のガイドラインのモデルとなり、そしてレインボープランの認証制度のお手本にもなっている。
 最近の有機農業を取り巻く状況は有機農業に関するガイドライン表示が始まったかと思えば、今度は有機農産物の認証制度によるJAS表示など、様々な枠組みに振り回されている。その背景にはコーデックス委員会という企業が中心となる国際的な機関などの圧力があり、有機農業もグローバルスタンダード化が避けられないという状況がある。
 有機農産物を様々な規格で認証することは消費者保護の立場からも有用な事ではあるが、そのラインをただ単にクリアすれば良しとする風潮は有機農業の本来のあり方ではないだろう。
 有機農業の本来の目的は何か。郷田さんが別れ際に田畑を一望できる場所で私たちに投げかけた「これではいけない」という言葉をもう一度思い起こし、心に深く刻んだ。
春が来るのがとても遅い今年、例年より1週間遅れで私たちにとって始めてのさわのはなの有機栽培が始まった。


アイガモ                       2000.7

 私たちさわはな倶楽部は、できるだけ農薬や化学肥料を使わない栽培方法をめざして様々な取り組みをしてきた。化学肥料を有機質肥料代え、農薬も少しずつ減らしてゆき、最後に残ったのがわずか1回の除草剤である。そもそも田植えという移植栽培は気温が高く雨が多い地帯で草の生育よりも稲が負けないために考え出されたもので米作りは昔から草との戦いだったのである。それは科学が発達した現在でも変わりなく、私たちは様々考えた末、わずか1回の除草剤をやめるためアイガモに除草をお願いする事にした。
 アイガモを飼うことに決めてから長井市内に飼っている人がいないので飯豊町の農家に何回かおじゃましノウハウを教えていただいた。雛も一緒に注文してもらって、5月9日に待望のアイガモが我が家に届いた。雛はボール箱に入って宅配便で一晩の旅をしてきした。アイガモが届いて最初にする仕事は1羽づつ砂糖水を飲ませる事。マニュアル通りに行いました。(写真)
 始めてのことで、本を読んだり実際に飼っている方の話を聞いたりと心配が尽きない。私と横澤の心配をよそに、昔取ったなんとかで張り切っていたのが我が家の父である。若い頃、にわとりを飼っていたので自信たっぷりで、雛を育てるための箱を二人分作ってくれた。届いたときには手のひらにのる大きさだったのが、わずか1ヶ月ですっかり大きくなり、もう少しでたんぼに入れるようになりそうです。
 始まったばかりのアイガモとのつき合いだが、あっという間に大きくなった姿を見て、影法師のほかのメンバーは秋になったら鍋が良いとか、スモークが良いとか違う楽しみを期待してしているようだ。


アイガモ2   2000.8

 アイガモは順調に大きくなり、たんぼで一生懸命除草をしている。(写真)その効果は絶大でおよそ5日ほどでたんぼの中の草や藻などはすっかりなくなった。私たちは今までも初期の除草剤一回だけの散布しかしておらず、その後出てきた雑草は除草機を押したり手で取ったりしていた。除草機を押しても列の真ん中はきれいになるのだが株の間はどうしても手で取るしかなかった。アイガモはあのくちばしと水掻きの付いた足でたんぼの中を縦横無尽に動きまわり、株間もすっかりきれいになった。
私たちの無農薬栽培はこれで大きく一歩踏み出したわけだが新たなハードルが出現した。それは空中散布の問題である。無農薬栽培と認めてもらうには、そのたんぼに農薬の散布をしないことは当然であるが、さらに空中散布のたんぼから100mの緩衝地帯が必要ということである。そこで、わずか17aのたんぼのために、約2.5haのたんぼを空中散布から除外してもらうよう持ち主にお願いしてまわった。まわりの人たちは私の米作りを理解してくれて、快く空中散布の区域から除外してもらうことができ、なんとか無農薬栽培と呼べる条件が整った。アイガモもひと安心していることだろう。
 私の父の年代は多収穫に燃えた。団塊の世代と呼ばれる私たちのちょっと上の世代は、多収穫に加えて一等米比率を上げる事に熱心だった。これからは私たちが、安心して食べられる米作りに燃える事ができる環境になってほしいものである。
さて、影法師結成25周年のコンサート東京編を9月2日土曜日午後2時から新宿区大久保の東京労音R'sアートコートで行うことになった。なんとチケットはピアでも買うことが出来ます。帰省された関東のお友達、知り合いの方にPRお願いします。


猛 暑                                       2000.9

今年の夏は署かった。特に七月末署さは大変なもので猛署を通り越して酷暑だった。ここ数年暑い夏が続き米の品質に影響していると考え、暑さを避けるため田植えを昨年より1週間ほど遅らせた。しかし今年の暑さは田植えの遅れを取り戻し、昨年と同じころに穂が出てしまった。穂が出るまでの署さは大歓迎なのだが、穂が出てがら高温が続くと土分に稔る前に稲の体が浦耗してしまい、充実した米にならないと言われている。人の夏バテが暑さのピークを週ぎてから出てくるようなものである。幸い今年は八月になってから雷雨が多いこともあり、夜の気温はかなり下がっている。穂が早く出た割合に案件は良いと思っている。
 夏になると、エアコンのない軽トラックをマイカーにしている私がとでもうれしく感じることがある。暑い夏の夕方、長井の市街地から我が家まで帰る途中、田んぼの中に行くにつれて、窓から入ってくる風がとても抜しくなってくることだ。いったいどのぐらいの温度差があるのかを検証してみることにした。時期は八月の初め、昼夜ともに一番暑かった時である。午後七時三十分、長井の中心部を出る時窓を開げ放った車内の温度は二九度だそこから走り始めて我が家へ向かう。周りが建物から田んぼにかわるとともに、涼しさを感じられるようになった。そこで温度計を見ると二八度、さらにたんぼの真ん中の我が家に着くと二七度になっていた。わずか二度の連いだが署い最中にはとても涼しくさわやかに感じられる。たんぼの中に住み、汗をかきながら車に乗っている人にしか感じることが出来ない夏のとてもうれしいことである。

風と土                      2000.10

今年も見事に 稲穂が揃った
幸せな時間が 私に流れる
かけがえのない この時のため
私は米を作っているのだ
  影法師「私は米を作るだろう」 詞あおきふみお
 この歌は先日東京で行われた影法師の結成二十五周年記念のコンサートで一番話題にのぼった曲である。珍しく私とポーカルの横澤農家二人組で演奏した。満足の行く出来映えではなかったが土に生きる私たちの本音を聞いている人に伝えることが出来たようだ。
歌のとおり今年は天候に恵まれ、そる見事な稲穂がたんぼに揃った。豊作である。一昔前なら豊作をみんなで祝うというのが当たり前のことだったが、大幅な過剰生産となっている今では、豊作になれば価格が下がるし、ざらに来年の減反強化につながるという現実に収穫の喜びも半減してしまう。でもそれを人のせいにしていては何も変わって行かない。そして愚痴を言いながら作った米がうまい訳がない。「私は米を作るんだ」と自己宣言して米を作ろうという歌である。
 東京でのコンサートで私たちの師匠の高石ともやさんがこう言った。文化は風と土で出来るものである。その土地の文化それは風土とも呼ぱれる。土はそこで生まれて変わらないもの。風は旅人である。そこで生まれ育った土に旅人が違んでくる風が一緒になって文化を作って行く。
 影法師は十一月に長井で結成二十五周年の記念イベントを行う。風を運んでくれる、佐高信、高石ともや、筑紫哲也の各氏。そして自ら風となってメッセージを発しで行きたいものである。
 みなさんもぜひ風を感じに足をお運びください。


アイガモ米                    2000.11

 アイガモが手持ちぶさたそうに、刈り取りの終わった田んぼを眺めている。わずか20aほどの無農薬・無化学肥料で栽培したアイガモ除草の米は希望者が多く、とても年間を通しての希望に応えることが出来ず、年内の出荷分で完了となった。通常私たちが販売している米は減農薬栽培で、それも初期の除草剤1回だけの、これ以上薬剤を減らしようがないお米である。それでもアイガモ除草の米に注文が来ると言うことは、食べている方の何割かの方がさらに安全なものを求めているということだろう。
 さて、役目の終わったアイガモの行方であるが、10月中にその短い一生を終え、今度は私たちの味覚を楽しませてくれることになる。最近はカモの肉もスーパーなどでも売られているが、どこでどのようにして育てられたかが分からない。その点、自分たちが育てたアイガモは無農薬・無化学肥料のたんぼで育っている。肉はもちろん、特に内蔵を食する人には安心感があるようだ。
 11月25日、影法師は25周年記念のイベントを、佐高信、高石ともや、筑紫哲也の3氏をゲストに迎え行う。そのゲストの人たちにこのアイガモを味わってもらうべく準備している。影法師のメンバーは食にこだわって料理までやる人と、食べるだけの人が半数である。アイガモを飼っている私と横澤は、当然の事ながら食べる事が専門で、カモ料理などとても手に負えるものではない。そこで影法師一の食のこだわり派、マンドリン・船山がシェフとして腕を振るうことになった。きっとイベント当日は影法師の新曲「アイガモの詩」と併せて、すばらしいアイガモの供養が出来ると今から楽しみにしている。


つきべり   2000.12

 私たちが米を食べていただく方に直接届けるようになってほぼ10年が経つ。お客さんと直接お話をする機会、手紙やFAX、最近は電子メールなどもたくさんいただき、毎日が勉強である。 毎月お米がお客さんの手元に着く頃になると様々な問い合わせをいただく。特に新米の発送の時は「前年と比べて」という感想がたくさん寄せられ、今年のように天候に恵まれた年は楽であるが、天候が不順で米の出来が悪い時はたいへんなものである。
 最近、さわのはなの特徴のひとつがいただいた手紙から分かった。 このところお米を玄米のまま求めて、食べる分だけ家庭用の精米器で白米や5分つきなどにして食べる方が多く見られるようになった。私たちのお米を食べていただいている方の中では、約1割ほどの方がそうしているようである。その中の一人の方から、「さわのはなを白米にしたら2割も減ってしまう」という手紙をいただいた。そ
の方の話では、8分つきに機械を調整しても1割5分も減るとのこと。はえぬきなどほかの品種では、白米で1割程度しか減らないそうである。 精米器は玄米を白米にするため、摩擦をかけて表面を削って行く。そして普通1割ほどが米糠として分離されるのだが、たまたまこの方の精米器は力が強くかかるのだと思われる。
   そこで思い出したのが、「さわのはなはつき減りが多いので米屋に喜ばれない」という話である。さわのはなは、  ほかの品種に比べ米質が柔らかいため、精米した時に減りが大きいのである。大量に精米すれば、1パーセントのつき減りの差が大きく収益に響く。このことが流通でさわのはなの良さを認めながらも、店頭から消えていった要因のひとつであることを、あらためてこの手紙から教えられた。

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