さわのはな歳時記 2002年1月−12月

お米の評価   2002年1月
 
 昨年の米の品質の評価がようやく固まってきた。農協など集荷業者に売り渡す場合は受け入れ時に食糧事務所の格付け検査があり、これが評価となり農家の収入に直接響いてくる。私たちの米はほとんどが個人のお客さまに直接送っているので検査を受けていない。「検査を受ける必要がないので気楽だね」とよく言われるが、そんなに楽なものではない。今年のように品質の良い年は楽なのだが、品質の悪い年は出荷した直後からその応対に追われる。
 集荷業者にお米を売る人が検査の結果を気にする以上に私たちが気になるのは、米の成分分析の結果である。刈り取りが始まり、最初の米が出来上がるとすぐ成分分析を行ってもらう。成分分析機は成分の分析だけでなく、その内容から総合的なスコアをはじき出してくる。この値が食味のすべてではないのだが、客観的なデータとしては有用だと思っている。その数値が高いほどおいしい米と言うことになり、80以上が望ましいとされている。今年は出穂後、極端な暑さがなかったため米がゆっくり稔り。ほとんどの米が80代後半のスコアで満足のゆく出来だった。
 業者に売り渡すための格付け検査は外見の検査である。外見が全く食味に関係ない訳ではないのだが、食味の判断に関して言えば成分分析機の方に軍配が上がるだろう。お客さんから要望があり食糧事務所へ持ち込み、格付け検査を受けてみた。スコア86のさわのはなは検査の結果2等米だった。 
 毎年成分分析の結果を見て不思議に思うのは、その結果の中に品種の違いによる食味の違いが見えないことである。米の味はまだまだ不思議な要素がたくさんあるよう
だ。


今日もあの娘は長井線           2002年2月

 先日、お互いの都合が合わず数年間延び延びになっていた宮城県の岩沼市で演奏が実現し、とても楽しい時間を共有することができた。ひととおりの演奏が終わり、アンコールの声がかかった。なんと「今日もあの娘は長井線」だった。地元ならいざ知らす、宮城県での演奏でこの曲がアンコールに登るとは予想もしていない事だった。
 「今日もあの娘は長井線」を歌った事で影法師の名前は広く知られるようになったが、それと同時に長井線という看板を背負って歩み始める事になる。この問題について否応なしに様々な人と話す立場に立たされてしまった。この曲を発表したのが1981年、今から20年も前の話である。レコードジャケットのモデルになった高校生の「あの娘」も間違いなくお母さんになってしまう年月を経ている。
 この歌のおかげで私たちを訪ねて来る人の中に意識して長井線に乗ってくる人がいる。その人たちが例外なく私たちに話す事は「なぜあんなに学生ばかりで一般の人が乗ってないのですか」という言葉である。一般の乗客が少ないのは以前からの問題なのだが最近この傾向にいっそう拍車がかかっているようだ。
 さて、なぜ乗らなくなったか自分なりに考えてみた。その原因が赤湯駅の西口にある大きな駐車場のせいである事に気付いた。東京に行く時も赤湯まで車で行き、新幹線に乗ってしまう。これではますます長井線に乗らなくなってしまう訳である。会議で乗車率を上げる方策を話しあう事も大事だろうがまず、この駐車場とフラワー長井線の関係をみんなで考えてみる必要がありそうだ。

さわのはな歳時記 No41   2002.03       

つづく
 3年半にわたり書き続けてきたこのコーナーをひとまとめにしてインターネット上に公開した。さわのはな倶楽部では影法師のホームページの一角を間借りして「さわのはな歳時記」のほか、さわのはなの生育の様子などを公開している。
 影法師のホームページの歴史は古く、地元のプロバイダーがサービスを開始する前にニューメディア担当船山がどこかのサーバーを借りてすでに試験運用を始めていた。そしてJANのサービス開始とともにホームページを開設し、それ以来6年間にわたり影法師の情報発信を担っている。
米の紹介のページも設けているのだが、ここからの注文は少ない。その原因は米に関するホームページがあまりにも多すぎる事が一番なのだが、ホームページから得られる情報では食べ物の場合、その良さが十分に伝えられない事だろう。味、香りといった人間の五感の半分も伝える事ができないのが今のインターネットである。
 一時は他を圧倒する勢いだったITブームもここに来て一息ついた感じがある。デパートの売り場を見回しても元気なのは食品売り場だけである。いくらブームでもITでは腹を満たす事はできない。画面上にとてもうまそうな食べ物が現れてもそれを食べる事はできないのである。生活の中で人間の生きてゆくためのウエイトが大きくなったとき農業の役割も見直されてくることだろう。
 長い間ご覧いただきました「さわのはな歳時記」はこの紙面上では今回が最後になります。来月からはインターネット上で書き続けて行きますのでぜひご覧下さい。さわのはな歳時記はhttp://www.kageboushi.jp/sawanohana/に続きます。

塩の道     No42   2002.04
 今年の春の訪れは大変早く、たくさんあった雪も三月の初めには平地ではすっかり無くなろうとしていた。そんな中、スキー場へ出かけた日の夕方は非常に寒くで山道は凍結の恐れがあった。山道にさしかかると雪が降っていないのに路面が白くなっていた。しばらく走ってゆくと一台の黄色い車がじゃまで大名行列状態になってしまった。その車は融雪剤散布車だった。私の家の近くの道路も走っているのだがすぐ後ろを走るのは珍しいことだった。前の車が直線のところで追い越し、私も続いて追い越そうとした。すると「バチバチバチ」という音がして車に融雪剤が飛んできた。道路に白いものがあったのはこの車が撒いた融雪剤だった。
 粉塵公害が問題になりスパイクタイヤが使用できなくなってから始まった融雪剤の散布だが融雪剤として用いられているものは主に塩化ナトリウム。つまり塩だといわれている。塩はマイナス一〇度付近まで融雪効果があり安価なことから融雪剤の主力として使われている。積もった雪を溶かすほどの量を冬期間毎日のように散布するのだから使用量は相当なもので、ある県では一冬の散布量が一万トンを越えているそうだ。最近はこの塩分の事が問題視されている。積雪地帯の車は底の部分の腐食が相当進むと言われており、峠道を通勤する人の中には夏場よりも念入りに洗車をする人もいるほどである。このように大量に散布された塩が周りの環境に影響しないわけがない。気付いてみれば道路のそばに生えている草の種類はたんぼの中の農道ほど種類がないような気がする。
 昔は峠道のほとんどが海から貴重な塩を運ぶ「塩の道」と言われたが、今ではその塩を道に敷き詰めるというとんでもない「塩の道」になってしまった。

種籾に刺激  2002.05    No44   
 今年も春作業が始まり、最初の仕事は種籾の塩水選である。塩水選は種籾の中から充実度の高いものを選び出す作業である。塩水を作りそこに種籾を入れて浮いた種籾を取り除く。下に残った種は重く充実度が高いことになる。私たちは「さわのはな」の種子の販売を行っているのでこの塩水選で除かれる籾の量がちょっと気になるところである。一般に販売されている種籾は塩水選を必要としないぐらい浮く量が少ない。それに比べると私たちの種籾はかなりの量が浮いてしまう。
 市販の種籾を見ていてその理由に気が付いた。それは種籾の肌が市販のものはつるつる状態なのである。それに比べて私たちのものは産毛のようなものがたくさん付いている。どうもこれが塩水に入れたときに浮く原因になっているようだ。なぜつるつるなのかその理由は乾燥にあった。種籾を乾燥する時に市販のものは火力乾燥のため機械の中を何回も回るうちに毛がなくなってしまう。私たちのものは杭掛け自然乾燥なので乾燥機を使わないため毛が残っているのである。
 さて、塩水選が終わると種子の消毒を行うのだが有機栽培を目指すようになってから薬剤で行う方法に加えて、薬剤を使わずに温湯浸といわれる60度の熱湯に10分間入れる方法を行っている。これは温度が重要で高すぎると籾が死んでしまうし、低いと雑菌が死なないという非常に微妙なものである。
 温湯浸をするようになってから気が付いたことがある。薬剤で消毒した方が芽の出るのが早いのである。芽が揃うまでの時間に相当差が出てくるため心配で覆土を指で取り除いて芽が出ているか確認したりする。
 父が言うには、これはきっと薬剤の刺激で発芽が促進されているのだそうだが実際はどうなのだろうか。薬剤の袋にはそのような効能は書いてないのだが。
 


試乗車  2002.06    No45

初めてキャビン付きのトラクターに乗った。十年選手の屋根も付いていない我が家のトラクターと比較すると相当差がある。二九馬力の価格はなんと五百万円もする代物である。今のトラクターの性能はすばらしく、耕耘の深さは自動だし、車体が傾いても耕耘部は水平に保たれる機能が付いているものがほとんどである。さらにキャビン付きとなれば窓にはワイパー中にはエアコン、カーステレオ(車でないのでトラステとでもいうのだろうか)まで付いている。こうなればトラクター作業は晴耕雨読など過去の話である。
 このトラクターに乗った日はとても良い天気で外の気温が二十五度もある日だった。キャビンは四方がガラスで覆われていてまるで温室の中の状態である。しかも窓は付いていない。これでは車内はあっという間に五十度以上になってしまう。キャビン付きのトラクターにはエアコンは必需品なのである。
 このトラクターは業者がデモンストレーションように貸してくれたものである。車の試乗車というのはよく走っているがトラクターの試乗車に乗ったのは初めてである。
 この試乗車で丸一日一.五fほどを快適に耕させてもらった。
 キャビンの中にいると快適なのだがキャビンがなくても田んぼは耕されるし、土の臭い、音、風が感じられなくなり田んぼにいる感覚がなくなってしまう。こんなことが気になるのは買えない人のひがみだろうか。

とんぼ 2002.07    No46   
 珍しくとてもたくさんのトンボの羽化を見ることができた。毎年少しずつは見かけるのだがこんなにたくさんのトンボのヤゴがそこら中の稲にとまっているのは珍しい。多い所は一株の稲に三、四匹のヤゴが付いているものもあった。
 さて、となりの家のたんぼはどうだろうと思って見てみると、こちらには全くいない。羽化を終え飛び立ったとんぼはたくさんいるのだがヤゴのついている稲は全く見られない。どうも、はやりの薬剤を使うとトンボも住めないようである。最近は田植えの時、苗の箱にいもち病の予防薬+長期間効く殺虫剤が入ったものを使う事が推奨されている。この殺虫剤が優れもので?、五月の田植えの時に使用するとドロオイムシやイネミズゾウムシはおろか今どきになっても一年中発生するようなあの丈夫なイナゴさえ発生しないというものである。各農薬メーカーも開発に熱心で、今まであったいもち病の予防薬の名前が長くなったら殺虫剤が加わったと見て先ず間違いがない。
 さて、トンボが全くいないたんぼが我が家にもある。それはアイガモのたんぼである。アイガモは働き者で私の思惑など関係なしにたんぼの中にいる虫を片っ端から食べてくれる。おかげで大変きれいになっているのだがこちらもちょっと寂しい気がする。
 農薬と比較するものではないのだが生態系という面ではちょっと問題があるのかもしれない。


カメムシか環境保全か 2002.08    No47   

 今年も無事に出穂の時期を迎えた。この時期になると憂鬱なことが始まる。それはヘリコプターの空中散布である。我が家は水田地帯の真ん中にありなおかつ空中散布の地帯となっている。以前から自分の田圃は空中散布はしていないのだが例に漏れず高齢化した就農者のためという大義名分で広範囲に絨毯爆撃が行われている。以前はいもち病が農薬散布の主たる目的だったため殺菌剤が中心だったが、近年、いもち病は予防薬で対応するようになったためその目的がカメムシ退治の殺虫剤中心になっている。空から殺虫剤が降る。まさに絨毯爆撃である。アイガモ除草の無農薬・無化学肥料栽培を始めてからは有人ヘリコプターの空中散布から100mの距離を保つため、周囲の農家に地上散布または低空を飛ぶ無人ヘリによる防除に変更をお願いしてまわることになった。幸い今年も何とか協力をいただいて100mの距離を確保することができた。おかげで我が家の周りは空中散布除外の赤旗、無人ヘリの青旗に遠く離れて有人ヘリの白旗とかなりにぎやかになった。
 さて今年は写真のような草が生えていない農道や畦道があちこちに出現している。これはカメムシの住処といわれる雑草を無くしてしまえばカメムシの被害が無くなるという論法から、除草剤に殺虫剤を混ぜて散布した結果である。このような方法を公的機関や農協が進めている。残留農薬が問題になっている時代になんてことだと思っている。それ以上に、農業は環境や景観を守る役目をしているなどといっていながらこのような農法を進めるのは自己矛盾も甚だしいところだ。日本中のたんぼがすべてこんなふうになったら日本で農業をする意味がなくなってしまう。
 コストが優先される時代に逆行するのは大変だが、納得のゆくものを作り出してゆく行動を続けてゆきたいと思っている。


無登録農薬 2002.09    No48   

 今年も充実した実りの秋を迎えることができることをお天道様に感謝しています。天候に左右される農業はその収穫が人の力で変わる割合は3割程度だと言われています。その3割のために様々な取り組みをやっているのが今の農業のようです。その働きかけの中には化学肥料や農薬というものに依存する部分が多くこれらの働きかけが人体や環境に及ぼす影響が確実になるまでは長い年月が必要になってきます。
 今問題になっている「ダイホルタン」をはじめとする無登録農薬をインターネットで検索すると写真のようにその項目があわてて消された痕跡を見ることができます。それはこの無登録農薬と言われている農薬が以前日本でも効きの良い農薬として使われていた事実を示しています。
 古くはBHCやDDTといった懐かしい響きの農薬も日本からはずいぶん昔になくなってしまったのだが東南アジアでは近年まで使われていた。今問題になっている無登録の農薬も日本では製造されていないが近隣の国では現役で使われているのである。なにも農薬だけの話ではない遺伝子組み換えの大豆を拒否しているのはヨーロッパの国々と日本だけ。アメリカでは75パーセント、中国で作られている大豆もほとんどが遺伝子組み換えになっているそうだ。このようなシステムは原発やその廃棄物をお金を付けて人の少ない貧しい田舎に「安全だ」といって押しやるどこかの国と似ているようで怖い。
今の農薬は運動のドーピング検査と同じように検出されない工夫があるそうで、怖い話が出てくるのはこれからも続きそうである。
  

地 力(ちりょく) 2002.10    No49   
 今年は季節の移り変わりが大変はっきりした年で品質も良く収量も平年を少し上回った。作況指数も平年を一〇〇とすると一〇一と発表されている。この豊作も土地柄や品種によって差が出たのが今年の特徴のようだ。
 今の山形県を代表する品種「はえぬき」は窒素成分を多量に必要とするため、かなり頑張って肥料を投入したごく少数の農家だけが豊作の恩恵を受けた。品質重視の栽培マニュアルどおりの肥料しか使わなかった私のような農家は平年並で止まった。さて少ない肥料でも、ある程度の収量を得ることができる我が「さわのはな」だがなかなか良い具合に収量も伸びた。はえぬきと比べると成分では半分も入っていないのだが収量の伸びははえぬきを上回った。
今年の天候の特徴は夏が長かったこと。特に8月のはじめがやや涼しく、8月中旬から9月にかけて高温だったことがあげられる。この夏の後半の高温で土中の窒素成分が出現したようである。土中窒素の出現は品種を問わず出たわけだが、はえぬきのように肥料を多く要求する品種では土から自然に出現した養分では増収になるほど効かなかったのである。一方さわのはなのように養分に敏感な品種は好天と相まって、現れた養分を十分に収量に反映することが出来たようである。人間が投下した肥料は天候の読みを誤ると品質に大きな影響を与えるが、自然が生み出す養分はうまく消化されるシステムになっていることに驚かされた。
 この土中から生まれる養分の多さを地力(ちりょく)というのだがこれが土質や長年の肥培管理によって大きく変わってくる。地力のある土地では好天の恩恵を十分受けたが、やせた地力のないたんぼでは長かった夏のせいで稲が消耗し、増収に結びつかなかった今年の稲作である。

カメムシ 2002.11    No50  

 収穫が終わった今もカメムシの話題が沸騰中である。というのも、豊作ではあったが予想以上のカメムシの被害があったからである。カメムシは穂が出たばかりの米にわるさをして黒い斑点をつくる。食味や安全性に問題はないのだが今の等級格付の規格では千粒に2粒入れば等級がワンランク下がり収入に直接影響する。
 今年のカメムシの発生状況は今までとちょっと違っていた。今までは発生する場所が限られていて、それ以外のところではほとんど見られなかったのだが今年はほぼ全域で発生した。被害にあいやすい品種というのもあって、早稲種の「はなのまい」や「あきたこまち」がターゲットだったのだが、今年は今まであまり狙われなかった「はえぬき」も標的になった。ひどいところでは絶対に安全と言われている「コシヒカリ」まで等級を下げた。
 このような状況になると、対策が大変である。ラジコンヘリコプターではたんぼ以外に薬剤が散布されないので有人ヘリに切り替えるべきだとか、空中散布は効き目がないから止めて強力な薬剤による地上散布に代えるべきだとか、様々議論されているようである。
 このような状況に薬剤メーカーが手をこまねいているわけもなく、なんと育苗土に混ぜるだけでカメムシの発生する穂が出る頃まで効くという薬が開発されたという。5月の田植えから刈取りまで効く薬がどう受け取られるのか、そんな薬を使ったお米を食べたいと思う人はいないと思うのだが。相変わらず、生産者の都合が優先された対策のみが聞こえてくる。
 カメムシのつくる斑点は白米にする過程でほとんど取り除かれる。かりに多少混じっていても食味、安全性に問題はない。外観だけで等級を決める今の格付検査を変える運動と、お米を食べてくれる人たちに理解を求める努力して行くことが安全な米を届けるために必要なことである。

有機認証 2002.12    No51  

申請していた待望の有機認証の認定の連絡が届いた。私たちが有機栽培(ようやくこの言葉が使えます)を始めたのが3年前。JAS法に基づく有機認証制度が始まった年である。JAS法による有機認証制度が始まったことによりそれまで使われてきた「有機」という言葉は認証を受けた農産物でしか使用できなくなり市場から有機農産物が一気に消えることになった。今まで有機認証の検査員として、多くの農家の検査を行ってきたが、ようやく自分も有機農家を名乗ることが出来るようになり一安心である。
 お米の表示には3点セットというものがあり年産、産地、銘柄を表示することが義務づけられている。この3つでは栽培方法などが分からないために、様々な認証制度があちこちでつくられていた。減農薬栽培、有機栽培、無農薬栽培、無化学肥料栽培、低農薬栽培と数えたらきりがないほどの種類があった。これでは基準がはっきりしないため定められたのがJASの有機認証である。無農薬、無化学肥料栽培をはじめてから3年以上経たないと申請することが出来ない。期間もさることながら田畑に投入する資材や栽培の方法、その記録まで事細かに決まっておりそれをクリアした農産物だけが「有機」という名前を使うことが出来るのである。
 巷では当市のレインボープラン認証をはじめとする独自認証の農産物が大手を振って流通しているが有機の名は使えない。一番怪しいのは減農薬栽培。減農薬と表示できる基準はその地域の農薬使用量の半分以下となっている。これでは空中散布をしても減農薬表示などという信じられないことが出てしまいます。減農薬栽培の中でも私たちのように除草剤1回だけの使用のものから、基準ぎりぎりの「これで減農薬?」と疑いたくなるようなものまであります。
 「有機」は厳しい有機認証を経た農産物にしか使えないことを是非知っていただきたいと思います。そして、その農産物には必ずこのマークがあります。

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