情報交換 2003.01 No52 since 1998.oct
農閑期の時期、私たちさわのはな倶楽部が中心になって様々な講習会や交流会を行っている。ひとつは今年で7回目を迎えた栽培情報の交換を主な目的とした「さわのはなネットワーク」である。
ふたつめは昨年から始めた「アイガモ除草稲作入門講習会」。そして今年はJAS有機認証のための「有機農業講習会」を行うことにした。
有機表示をするためには前号で紹介したとおり栽培方法をJAS規格にのとって行う事は当然であるがそれに加えて、生産工程管理者の資格取得のための講習会を受ける必要がある。現在の有機JASの認証制度では圃場を認証するとともにその申請者(団体)が生産工程管理者として適当であるかということも判定することになっている。講習を修了して生産工程管理者になれるのではなく、生産工程管理者になるための知識を習得し、さらにそれを実践することによって有機表示が可能になるわけである。
有機農業の事を学ぶために始めた有機JASの検査員であるが、生来の追求好きのためついに講習会の講師をするところまで来てしまった。
さわのはなにしても有機農業にしても「自分たちだけで暖めていたらどうだ」と進言してくれる人も多いのだが、「私だけが」というのはとても怪しいし、多くの人たちが取り組んでいなければ高い評価は得られないと思っている。そのためには多くの人たちに情報を提供しさらにその実践から情報の還流が更なる向上につながれば良いと思っている。
有機農業講習会はJAS表示を目的として行うものであるが、今回は農家の方だけでなく多くの人に有機農業の事を知ってもらうために傍聴参加も企画した。有機農業に関心をお持ちの方にぜひ参加していただきたいと思っている。
玄米食 2003.02 No53
玄米食が流行りなようである。先日NHKの「ためしてガッテン」という番組で美味しい玄米の食べ方の特集があった。私も興味深く見ていた。番組を見ながら「これは玄米の問い合わせがあるだろな」と家族で話し合っていたらやはり数人の方から連絡をいただいた。私たちから玄米を買っていただいているいる方は、自分で精米をして食べているのだろうと思っていたのだが、意外に玄米のまま食べている方も多いのかもしれない。
私の子供たちもそれぞれに玄米食に挑戦している。一人暮らしをしている大学生の長男は数ヶ月前に玄米を持っていったのだが、先日「米を送ってくれ」という電話に「玄米で良いの?」と聞いたら「白米にして」という返事。一人で玄米だけを食べ続けるのはちょっとしんどいようである。家に同居している姉の方は気が向いたとき自分で炊いて食べている。最近休んでいたのだがこの番組に興味を持った親に合わせてまた最近再開している。玄米が体に良いのは十分理解できるのだが、玄米から白米へ食べ方が変わってきたのには訳があって、食べやすさがないと長続きしない事を歴史が証明している。
先日行われた「さわのはなネットワーク」でも美味しい玄米の食べ方が話題になった。私は番組で紹介された食べ方を一つずつカレーにしたり、チャーハンにしたりして試しているのだが、今のところ納豆をかけて食べるのが一番合っているようである。
玄米食は精米しない分だけ養分が多いのだが、そのまま食べるため農薬なども気になるところである。無農薬栽培のアイガモ米の注文に玄米の割合が多いのがなんとなく納得できた玄米食の話である。
プロとアマチュア No54
影法師がテイチクからCDデビューすることになった。若いうちからプロを目指すのが多いこの世界で、とてもとても遅いデビューである。演奏活動を三十年近く続けているわけで今までもそんな浮いた話がなかったわけでもない。そんな誘いがある中、「おまえたちがプロになっても食べてゆくだけ稼げないだろう」と率直に言ってくれるその筋の人がいた。自分たちの技量を考えても当然の忠告で、それ以来、影法師は甘い話には「私たちはアマチュアですから」と断り続けてきた。
さて今回はというと、影法師そのものより楽曲に惚れ込んでの話だった。「きみたちの歌をもっと多くの人たちに聞かせてみたい。」というその言葉は、オリジナルの詩を歌い続ける私たちの心を動かした。ライブだけの限られた人たちだけでなくCDなどにより多くの方の評価を得たいと思うのは自然なことだった。影法師の内部でもインターネットのメーリングリストを使い話し合いが連日行われた。今でさえ年間四十回を越える演奏活動を行う影法師。仕事を持ちながらの活動では限界の数字である。変にその先を考えるととても怖い話である。
CDを出すからといってどこかの事務所に所属するわけでもなく、生活は今までのまま、みんなが心配するほど変わりそうもありません。相変わらずあちこちに演奏に出かけますのでお近くに出没したときはぜひ生影法師をご覧下さい。
「スローフード」 2003.04 No55
「スローフード」という言葉が流行である。スローフードはファーストフードに対する言葉で伝統食という意味合いが強いと思っています。このスローフード運動を進めているのがスローフード協会という組織で山形県にもスローフード協会があります。私も誘われて昨年から会員になり様々な方々と接する機会を得て刺激を受けているところです。スローフード運動の目的は@質の良いものを作ってくれる小生産者を守り、郷土料理の良さを再発見する。A子供たちを含めた消費者に味の教育を進める。B消えてゆく恐れのある伝統的な食材や料理を守る。の3つの柱からなり、生産者から消費者まで、子供から老人まで幅広い関わりが出来るようになっています。
私たち、さわのはな倶楽部の「さわのはな」という伝統的な品種を守っているということがスローフード運動にぴったりだということで、様々な場面で話題を提供しています。今までは協会が発足して間もない事もあり内部での勉強会が主体だったが、いよいよ外に打って出ることになった。4月12日(日)午後1時から山形市総合福祉センターでスローフード運動の講演会とパネルディスカッションが行われます。私もパネラーのひとりとして参加しますので興味のある方はぜひ足をお運びください。
スローフードという言葉だけがかっこよく一人歩きしている気がします。スローフード運動が掲げる「食の見直し」が必要な時代になったと思います。これからの食のあり方を考える事によってこれからの農業のあるべき姿も見えてくると思います。
「ねえてぶ花作大根」 2003.05 No56
私と一緒にさわのはなをつくっている横澤は長井市の花作町というところに住んでいます。そこに昔から伝わる花作大根という地大根があります。上杉藩の頃から作られていたと言われるこの大根は写真のように普通の大根とくらべるとかなり小振りですが漬け物用として大変重宝された大根でした。実が締まっていてパリパリとした歯ざわりは他の漬け物では味わうことの出来ないおいしさです。
今は保存料のおかげで漬け物が一年中食べられるようになってしまいましたが、その昔は秋に漬け込んだものは気温が高くなる今頃になると限界になってしまいました。そこで、その存在を発揮したのが「花作大根」です。その締まった実のために今頃から食べ頃がやってくるのです。春の農繁期、田の畦でおにぎりのおかずにきっと花作大根を食べていたのでしょう。
こんな花作大根も形が小さいため収量が上がらない事や一年中漬け物が手に入るようになったことで作る人が少なくなり、とうとう横澤ひとりになってしまいました。
この長い歴史を誇る花作大根を復活させようとする取り組みを「ねえてぶ花作大根」という名前で始めることにしました。
とりあえず、昨年漬け込んだ花作大根の試食とその特徴、歴史、現状の学習を行います。1年かけて作り方、漬け方などを勉強したいと思っています。田植えの時に「さわのはな」のおにぎりと「花作大根漬け」で昼ご飯、といのも楽しそうじゃありませんか。
「笹の花」 2003.06 No57
我が家にちょっとした心配事が持ち上げっている。事の発端は私の母が自宅の庭で「笹の花」を見つけたことにある。笹の花は不作の前兆とされているため母は花をむしり始めたらしいのだが笹藪一体が花を付けたため手に負えなくなり家族みんなに話す事になる。
早速インターネットで調べてみると「笹の花」は60年に一度、または120年に一度しか咲かないため大変珍しい事とされている。不作の前兆という記述も多数あるのだがその結果まで書かれているページはない。花を咲かせた笹はその後枯れてしまうという説もあるのだが我が家の笹は今のところ生きているようである。
その後、近所の雑木林の笹を見たり、山菜取りに行く山で笹を見たりしているのだが花を見つけることは出来なかった。先日、さわのはなの原々種の田植えの取材に来られたマスコミの人に話したところ興味を持たれ、数社が笹の花の写真を収めていった。農業関係の新聞社が全国版に掲載したことからあちこちから問い合わせをいただき、中には笹の実を送って欲しいというリクエストもいただいた。
笹の花が終わるとそこに実が付く。笹の実は昔から食用とされていたようで、「米が不作の年にその不足分を笹の実で補うように笹に花が咲く」という言い伝えが笹の花と不作の関連性の始まりのようである。インターネットでは笹の花の写真もたやすく見ることが出来るので毎年全国を探せばどこかで見られる現象のようである。だが特定の場所では珍しい事のようで私は初めてだし、両親も記憶にないとの事である。
我が家だけが不作と言うこともないと思うのだが「米作りに十分気を配れ」というサインだと思って気持ちを引き締める出来事であった。
「冷蔵庫の威力」 2003.07 No58
私たちはお米の保存に冷蔵庫を使用している。1台に70俵も入るとても大きな物で真夏には農作業の合間にちょっと涼みに入ったりします。この冷蔵庫を2台使用し秋収穫した玄米を入れておきます。そのお米は春までになくなり、今度は籾のまま保存しておいたものを籾すりして玄米にし冷蔵庫に入れ秋まで出荷します。今年も田植えの後、籾すりをして冷蔵庫に入れました。
この冷蔵庫に目を付けたのがさわのはなの種子栽培でお世話になっている鈴木多賀氏である。さわのはなという品種を守って行くためには普通の米作りにはない毎年次の年の元になる原々種を選抜するために様々な作業が必要になる。これが意外に手がかかる事でなんとか省力化できないかという思いがありました。そこで目を付けたのが冷蔵庫での保存である。冷蔵庫による保存によって一度選抜した原々種が何年間か使えるようになればこの選抜作業も数年に1回やれば良いことになり大幅な省力化が図ることができる。
平成12年収穫した原々種を冷蔵庫に入れた。3年経過した今年、発芽試験を行ったところ結果は写真のとおり大変良好で発芽率が約90%とほぼ収穫直後と同じ値が得られました。種子の保存時の温度は発芽率と密接な関係があり、20度を超える温度で保存した場合は30%程度の値しか得られないと言われている。冷蔵庫の効果は種子だけの問題ではなく、性質が変わらないということはその食味も保持されることになると思っています。
出荷するまでは冷蔵庫で万全の体制を取っていますので、ぜひご家庭でもお米を涼しいところに置いていただきたいと思います。適当な場所がない場合は冷蔵庫というとっておきの場所もあります。
「異常低温」 2003.08 No59
平成5年の大凶作以来の低温が続いた今年の7月だった。エアコンはおろか扇風機も必要ない7月は記憶にない。まるで我が家に咲いた60年に一度しか咲かない笹の花の言い伝えが当たったかのようである。不作の前兆とされる笹の花はその後も咲き続け、まだ一部が残っている。
テレビの報道によるとすでに穂がでている早場米地帯では低温の影響で不稔発生しているとのことだった。実際にどの程度の割合で不稔が発生しているのか詳しくは解らないが私たちの所よりも暖かいはずの所で影響が出ているのは珍しいことである。
最近は温暖化といわれ、どちらかといえば寒さを忘れるような年が続いていた。そして作られる品種もだんだん北上して行く傾向が強まっていた。山形県では作ることがむずかしいと言われていたコシヒカリが、近年当たり前の事のように作付けされている。今年の低温がこのような本来適地とされていなかった地域での米作りにどんな影響を与えるのか興味のあるところである。
さて、我がさわのはなであるが、生まれたところは県内でも有数の山背の吹く冷害の多いところ。低温には非常に強い。私たちがさわのはなを作り始めた平成7年も低温が続いた年だった。収量は上がらなかったのだがその年のさわのはなはとてもうまかった。「あのうまさが今年は出るんじゃないか」と期待しているこのごろである。
「作況指数「やや不良」 No60
旧盆を迎え、平年より一週間ほど遅くなったがようやく穂が出そろい様々な状況が明らかになってきた。発表された山形県の作況指数は「やや不良」。「やや不良」というのは数値で表すと95から98となり平年よりやや収量が落ちる見込みだそうだ。太平洋側の東北各県が90以下の「著しい不良」であるのと比べるとかなり救われた感じである。
冷害で収量が落ちるというと、花が咲く時期に天候不順でうまく受粉しない事が原因だと思っている方が多いのだが、米の場合はちょっと違っている。出穂の2週間前頃の減数分裂期と呼ばれる時期に低温に合うと花粉がうまく作れなくなる。そのため受粉できない不稔(稔らない)籾が発生することから収量が落ちるのである。(写真はなり不稔が発生した穂)不稔籾の数は品種や地域でばらつきはあるものの、私たちのところでも平年の2倍から4倍の数に上っているようである。不稔籾の数から単純に計算すると1割2割の減収になるはずなのだが米粒の数が少なくなった分その養分が残った米粒に行くため粒が大きくなり計算ほど収量は落ちない。
障害型の冷害と呼ばれる減数分裂期の低温に対しては前号でも述べたように、さわのはなは強い特性を持っている。不稔籾の数を見ても平年よりやや多い程度のようである。作況指数通りの「やや不良」の収量は確保できそうで一安心と言うところである。
平成大凶作と言われた平成5年に継ぐ凶作の今年を乗り越えたさわのはなをぜひ食べていただきたいと思っています。
「不作の秋」 2003.10 No61 since 1998.oct
希に見る冷夏で刈り取りが10日も遅れ、お米の状態がとても心配でした。収量が減るのは覚悟の上なのだがどの程度の食味が出るかがとても心配で、刈り取り、調整が終わるとすぐ分析を依頼した。その結果はまずまずのスコア。それでも心配で実際に炊いてその味を確認して一安心し、ようやく落ち着いて刈り取り作業についた今年の秋でした。あまりの寒い夏にお米に黒い斑点をつけるカメムシも活動できなかったようでとてもきれいなお米になり、検査は久しぶりに1等でした。(写真)
平成大凶作といわれた平成5年に次ぐ不作と言うことで久しぶりに話題になっています。平成5年は刈り取りが始まるとヤミ米業者が農家を回り農協などの集荷業者より数段高い金額で米を買いあさって行った。ヤミ米業者という響きも懐かしいものだが当時は食管法があり国がお米の流通を管理するという仕組みだったので集荷業者の手を経ないで流れる米はヤミ米と言われていた。
今年は不作の情報が流れると平成5年は後手に回った農協がまっ先に買い入れ価格の上積みを発表し米の確保に乗り出した。うるち(ごはん用)で約15%増し、もち米はなんと昨年の2倍の60k3万円の買い入れ価格を打ちだした。それに合わせて農協以外の小さい集荷業者も追随して値上げを決めたのだが実情はかなり厳しく、納入先への価格の交渉が相当難航しているようである。場所によっても事情はだいぶ変わってくるのだろうが買い入れ価格が1割以上上がっても実際の収量がそれ以上減っているので農家の手取りはマイナスになるのは確実である。当然の事ながら米を農家の庭先に買いに来る昔のヤミ米業者のような人はいない。ヤミ米業者のかわりに農村に出没するのはお金を払わないで納屋や果てはたんぼからお米を持ち去る人たちです。
世の中の状況は確実に平成5年より悪くなっており、1年間お米を届け続けるために納屋の戸締まりがこれからの一番大事な仕事になりそうです。
「お気に入りの堆肥」 2003.11 No62
ようやく刈り取りが終わり一回目の発送が済んだばかりなのだが、来年の準備に取りかかっている。収穫が終わったたんぼに隣町の畜産農家から分けてもらった堆肥の散布作業を始めた。
この農家の堆肥は土着菌を有効に使い、完熟で私たちが散布する頃はまるで土のようになっているすばらしい堆肥である。農業試験場の牛糞堆肥の肥効データを取るためにも使われているもので自他共に認める一級品である。今年の春、この畜産農家に行って驚いた。今まで自宅で50頭ほどを飼っていたのだが、なんと規模拡大で100頭の畜舎を別の場所に新築していた。北海道の牧場も顔負けである。そこで心配がよぎった。あの頭数に増やして果たして良い堆肥が生まれるのだろうか。良い堆肥の生産には堆肥の処理施設と量のバランスが大事なだけでなく、発酵中の頻繁な撹拌が必要になってくる。心配は的中した。やはり堆肥の生産までは手がまわらず発酵途中の未熟堆肥が積まれていた。飼育頭数が増えたことによりとても堆肥の生産まで手がまわらなくなったのである。私たちは昨年の残りの超完熟の堆肥を分けてもらうことができたが、農家からは私たちがこの堆肥と出会った時のような、土着菌にかける熱の入った言葉も聞かれなかった。畜産廃棄物と堆肥は紙一重である。手をかける人の考えによって宝物にもなるし、堆肥とは名ばかりの廃棄物のままで終わる場合もある。
これから来年の秋までまた納得の行く堆肥を探してみようと思っている。
「食味コンクール「金賞」 2003.12 No63
全国・米食味分析鑑定コンクールという催しが今年は隣町を会場に行われました。わたしも地元ですので実行委員として行事の運営に携わってきました。ただお手伝いをしているだけではつまらないのでわたしが作っている品種を全て出品してみました。
コンクールは総合部門と品種・栽培部門に分かれており、なんと出品した「はえぬき」が、はえぬき・どまんなか部門で金賞(第一位)を頂戴しました。コンクールには全国から千を超える出品がありそれを機械による第一次審査で絞り込みます。さらに本選では実際に同じ条件で炊いたものを30人が目隠しで(誰のものか分からない状態で)食べ比べ投票します。その得票の多い順で賞が決まって行きます。特別にコンクール用に仕立てた米ではありませんから入賞などは考えてもいませんでしたが、量より質にこだわってきた栽培方法が実証できたと思っています。さわのはなも出品したのですが残念ながら入賞まで至りませんでした。
一次審査で分析する機械がコシヒカリ中心でスコアが出るようになっていることもあり総合部門はコシヒカリやミルキークィーンといった「もちもち感」の強い低アミロース米が独占しています。野菜などと比べれば品種間の極端な味の差はないのですがお米の世界でも味の単一化が進んでいることに疑問を感じました。
全国的にはマイナーな品種でもその個性を伝えて行くことがますます必要な時代になったと思っています。
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