「三等米エレジー」 2005.1 No75
昨年夏、自主制作した影法師のアルバム「異議軒昂」に納められた「三等米エレジー」が農業関係者の間でちょっとした話題になっている。発表当時から農家には好評だったのだが月刊農業誌に取り上げられたことにより農水省を巻き込んで論議が盛り上がっている。
原稿の執筆依頼が来たのが稲刈りの真っ最中で「今年はカメムシの発生はどうなんでしょうね」などとやり取りをしながら引き受けた。掲載されたのは現代農業という月刊誌の12月号、タイトルは「米の検査制度に物申す三等米エレジー」。米の検査制度、特に斑点米の検査規格が農家の収穫直前のカメムシ退治の殺虫剤の大量散布に繋がっていること。斑点米によって食味が落ちたりしないこと、斑点米の検査基準を少し緩めるだけで農薬の使用量が大幅に減らせることを歌詞を埋め込みながら現した。掲載後、記事を見た数人から激励をいただき喜んでいた。
次の号をみてびっくり「斑点米一等米基準0.1%への不満」という特集が組まれている。
さらに農水省から「着色粒に関する検査規格への誤解に対して」という私の前号の記事についての反論まで載っているではないか。農水省の反論は「米の農産物検査は義務ではなく未検査で販売することも自由です」とか「農薬を使用したカメムシ駆除まで求めているわけではありません」といった全く議論のかみ合わない言い訳に終始してる。
周囲の話ではこのくらいかみ合わない文章を書けないと一流の官僚とは言えないそうで、思わず納得してしまった。なにはともあれ歌で米検査制度に一石を投じることができ今年の演奏活動にも一層力が入りそうである
「稲麹(いねこうじ)」 2005.2 No76
昨年秋の刈り取りの時おもしろい物を発見した。写真のような稲に付いた黒い物である。一緒に仕事をしていた年配者にたずねると「これは稲麹(いねこうじ)というもので豊作の印だよ」と教えてくれた。昔はよくたんぼで見られたそうだが今ではまったく見られなくなってしまった。
調べてみると、稲麹の付いた稲が水に浸って発酵して偶然できたものが日本酒の原点だと言われているそうだ。その昔はお酒だけでなく味噌醤油などの醸造に使われていたようで、現在使われている醸造用の酵母の元をたどって行くと稲についた麹にたどり着くのいうのはとても興味深い話である。
私が農業を始めてから30年ほど経つのだが稲麹を見たのは初めてである。今回発見したたんぼが無農薬栽培のたんぼであった事を考えると農薬が使われるようになってから稲麹は急速に姿を消したようである。
最近の特区ブームで「どぶろく特区」などというものがあちこちで認められさまざまな「どぶろく」が楽しめるようになったのだが、本来のどぶろくの味を知っている方には評判が悪い。どうもどぶろくを造るのにお上の管理する(?)清酒酵母を使うことが原因らしい。
無農薬の田んぼに稲麹がたくさん田んぼに現れてそれを集めて「どぶろく」でも造ったら楽しいだろうななどと考えている
「大 雪」 2005.3 No77
3月だというのにご覧のように1mを越える雪があります。どうも減ったところが見えないのでひょっとしたらと思い、アメダスのデータを開いてみた。記録を見てびっくり、この冬の最大積雪深がこの写真を撮った三月五日になっていた。普通は2月に最大積雪になるのであるからおよそ一ヶ月ほど季節が遅れているようである。もっとも十二月はとても暖かい日が続いていたので、あのあたりから一ヶ月ずれはじめていたのかも知れない。
この冬は積雪量が多い割には、朝起きて仰天するほどつもった記憶がない。これも調べてみると一日の最大降水量は例年は30cmほどの日があるのだが今年は15cmほど、二月の積算の降水量も昨年の半分ほどしかない。
それでは、この雪の多さはどこからきているのであろうか。どうやらそれはお天道様が出ていないからのようである。二月の日照時間は昨年の半分、平均気温は1.6度も低いのであるから降った雪が消えないのは当たり前の事のようだ。
夏に置き換えれば一昨年の冷夏と同じ事なのだろう。
一昔前は夏休みの日記帳のように自分で記録しておかないと過ぎた天気の記録などは調べることができなかったものだがインターネットから容易にデータを引き出すことができるようになった。これで、先の予想まで出てくるようになれば「いつ頃から仕事にかかろうか」などと心配する必要はないのだが。天気予報も一週間先までしか見えないし、もっと先まで見えるようになるのはまだまだ先のようである。
もっとも、このまま私たちが突っ走ると一週間先どころか一寸先も見えない時代がやってくるかも知れない。
「環境にやさしい農業」 2005.4 No78
県知事が代わったからという訳でもないのだろうが突然、環境にやさしい栽培方法でお米をつくる農家に優遇措置が講じられることになった。この話を知らされたのはごく最近ですでに種籾の準備が終わってからである。突然の対応で何か裏がありそうなのだがとりあえずうれしい話である。対象となる農家の数が一握りということもあり農家の間でさえ話題にものぼらない。
優遇措置の内容は今まで対象となっていた「JAS有機認証」に加えて農薬や化学肥料の使用を半分以下にした「特別栽培農産物認証」も減反の面積を緩和しようという物である。これらの栽培方法を行うことは当然環境には優しいのであるが収量は何割かダウンする。この減収分を減反の緩和でいくらかでも補おうというものである。
「JAS有機認証」は無農薬・無化学肥料栽培で3年以上作付する事が必要で長井市ではこの認証を取得しているのは私だけ。「特別栽培農産物」については昨年から基準が厳しくなり取り組む農家の数が半数に激減し、米価の低迷も手伝って今年も増える見込みがないのが現状である。「安全・安心」を売りにしようとしている時期にまったくお寒い話である。農家の中では減反の緩和が収入に結びつくという思考が弱いので「特別栽培」したお米が秋に普通栽培の米よりどのくらい高く売れるかが面積拡大の鍵となるだろう。
私たちは昨年から全面積いずれかの認証を取得しているので今回の減反緩和策では最大限のメリットを享受出来そうである。こういった施策も長続きしないのが目に見えているのだが電卓片手に栽培計画をギリギリまで練り直すという珍しい春先を迎えている。
「油 断」 2005.5 No79
今年の春作業はちょっとした騒動から始まった。「種籾に玄米が混じっている。」という連絡があり、早速調べてみると籾が剥けて玄米になっている物が混じっている。原因は調整段階での機械の不調のようである。昨年作業場を新築したため、その一連の流れのチェックに気を取られ確認を怠ってしまった。これまで順調に来た種子の栽培だったが八年目を迎え油断が生まれた。
一見二割も剥けているように見えるのだが数えてみれば5%ほどである。しかし、食べるものであれば玄米は問題ないのだが、種籾となると発芽の具合からその後の生育まで考えると心配が残る。さっそく購入していただいた方々に連絡を出すことにした。剥けていない種籾があれば交換すれば良いのだが、すべてを交換するには量が足りない。やむを得ず半額まで値引きしての対応とする事にした。
案内をしてからの反応はさまざまで、快く承諾してくれた人がほとんどであったが、中にはすごみのある電話をちょうだいした人もいて、さながら最近の報道バッシングを垣間見たようだった。種子の発送先は百件を越えているため金銭的な損失もさることながら大変だったのは案内の発送、口座の確認、送金が終わるまで一ヶ月間の対応だった。
こうした中「さわのはな復活活動の足しにして下さい。」と半額返金を辞退される方、激励をいただいた方も多数おられ、申し訳ない気持ちと同時に今までの取り組みを後押ししてくれる方がたくさんいることに感激した。
玄米が混じった種籾から発芽した苗は写真のように順調に育っている。ちょっとした油断が大きなミスにつながることと人の温かさを感じた一ヶ月だった。
「新品種プロジェクト」 2005.6 No80
今年もようやく田植えが無事に終わった。毎年最後の田植えは「さわのはな」を次の年に伝えるための原々種の田植えである。さわのはなの持つ特徴を良く見極めるため一本植えである。この一本植の生育の様子を観察し来年に伝えるべきものを選抜する。さわのはなという一つの品種を残すために毎年こうした取り組みを続けている。
この原々種の田んぼにちょっと変わった性質のものを見つけたのが2年前のことである。その後系統を分離して生育を観察していたのだが親であるさわのはなとは違う性質を持つことがはっきりした。そこで今年品種の比較試験を行い新品種としての登録申請を目指すことにした。
さわのはなの変種ということで親であるさわのはなとの違いをはっきりさせることが必要なのは当然なのだが、他の品種との比較も必要ということでササニシキ、ひとめぼれも植えた。新品種はさわのはなの持つ良食味を引き継ぐ事は容易に想像できるが、そのほかにさわのはなの欠点とされる部分を補う性質を持っていることが期待できる。
新品種は申請すればOKというものではなく、申請時に種子を添付し公的機関で再度特性試験を数年おこなった後、登録の可否が決められる。
申請手続きが済めばとりあえず皆さんに試食してもらい評価をいただくことも可能になる。新品種であるから名前も必要になる。良い名前があればぜひ名付け親になっていただきたいと思っています。今年も秋に向けて楽しみが一つ増えました。
「デジガモ」 2005.7 No81
県内の方は大々的に報道されたのでご覧になった方も多いかと思いますが全自動除草ロボット「デジガモ」計画が始まった。名前のとおりアイガモの代わりをロボットにさせようという試みである。
数年前から、アイガモ除草の欠点をどのようにしたら解決できるかを考えていた。アイガモは除草するという意識を持って田んぼを動き回っている訳ではないので動きにムラがあり、何年かすると草の密度の高いところが出てきたり、好きな場所は稲が無くなるほど掘り返したりする。また外敵にやられやすいなど管理に手がかかるため大規模化が難しい。
各農機具メーカーでは様々な除草機を開発しているがどうしても大型になり相手がぬかるむ水田のため満足な性能を発揮するものはあらわれていない。そこでアイガモが動き回るように田んぼの中をムラなく自動的に動くロボットが作れないかと考えた。この考えに応えてくれたのが地元の長井工業高校と、ものつくり伝承塾である。
6月27日このデジガモ計画に取り組んでくれる長井工業高校の生徒6人がアイガモ田を訪れた。生徒たちはアイガモの愛くるしい表情に喜ぶと同時に田んぼに実際に入って水田を動き回ることの難しさを感じていったようである。これから数ヶ月の間、試行錯誤しながらデジガモ作りに取り組んでくれることとなった。
「デジガモ計画始動」の報道を見て、「アイガモはもう飼わないんですか」という問い合わせもいただきました。アイガモを見に来た工業会の若手グループ「ものつくり伝承塾」のメンバーが「癒しという面ではどんなロボットを作ってもアイガモにはかなわない。」という言葉どうりアイガモはほかのものには代え難いパートナーとしてこれからも一緒に田んぼを耕して行きます。
「花の香り」 2005.8 No82
今年も見事に稲穂が揃った。
幸せな時間が私に流れる。
かけがえのないこの時のため
私は米を作っているのだ。
影法師 私は米を作るだろう
詞あおきふみお
ちょうど出穂の時期を迎えています。稲は穂が出ると同時に花が咲きます。先日、新品種の生育調査に来ておられた鈴木多賀さんが出穂期を迎えた田んぼで「匂いがしますね」と言われた。深呼吸してみると精米の時のにおいを薄めたような、かすかな稲のかおりがする。稲の花のにおい。今ままで感じたことのない出来事だった。
最近、山形スローフード協会の仲間があちこちで行われている「だがしや楽校」に「味当てクイズ」を出店している。ちょっと前までのイベントの定番といえば「フリーマーケット」だったのだが「だがしや楽校」は一歩積極的に体験型、参加型の店を出店するというものである。そこでジュースやゼリーそして各種みそ汁の味当てクイズをやっている。これがなかなか当たらないから面白い。特にみそ汁は今の調味料に慣らされた舌では本物の区別がつかない。
昨年、東京で行われた食育フェアでのこと。味覚テストに挑戦、極々薄く味付けされた、甘み、酸味、苦み、塩味の4つを当てるものだった。予想通り私は塩味が分からず減点1。食生活で味覚も相当変化するようである。
最近はおにぎりも炊飯補助剤と言われる調味料が入ったコンビニの味が標準になりつつある。おいしい=本物の味とは限らない時代になり、五感を研ぎ澄ますこと、私たち農家はそのまま食べておいしいと言われる米を届けることがますます重要な時代になったと思う。
「とうがらし」 2005.9 No83
今年の夏は一気にやってきた。7月下旬の梅雨明けと同時に連日35度の猛暑が続き稲の出穂は平年より2,3日進んだがその反動がやってきた。8月のはじめになるとあちこちの稲の葉に食害が見えるようになってきた。はじめはイナゴが食べているのだと思ったのだが、どんどん葉っぱがなくなって行くのにイナゴの姿が見えない。これはおかしいということで良く見ると「イネアオムシ」が大発生している。私の父が60年ほど米作りをしていてこのような大発生を見たことがないというのであるから希に見る出来事なのだろう。
被害は出穂の遅いコシヒカリが中心である。出穂の遅い品種はこの時期まだ栄養成長期にあり、稲の体が柔らかい。虫も食べやすい葉っぱが分かるようで穂の出ていない稲に集中して発生した。この時期、コシヒカリ以外の品種はほとんど穂が出ていたのだが生育の遅れている水の取り入れ口の周辺や日陰のところなどはコシヒカリ以外の品種でもアオムシの発生が見られた。この食害も産卵、孵化の時期が終わったこともあり出穂と同時にようやく終わりを迎えた。
さわのはなは出穂が早かったためアオムシの被害は大きくならなかったのだが、今年はアオムシに限らずカメムシなども多いと言われている。虫の被害を防ぐには殺虫剤を使うのが手っ取り早い方法なのだが、殺虫剤を使わない栽培方法では様々な工夫が必要になってくる。私たちは木酢液を使用し稲の体を丈夫にして対応しているのだが、今年の大発生を受けて秘密兵器「とうがらしエキス」を使用している。写真は干した唐辛子を煮出しているところである。この辛いエキスを木酢液と同時に散布している。これで虫が死ぬわけではないのだが、田んぼから出て行ってもらおうというわけである。
どの程度効果があるかは分からないのだが何もしないわけには行かない。キムチ大好きな虫がいないことを祈るのみである。
「長 男」 2005.10 No84
収穫の秋に今年は文明の利器を様々用意して取り入れに臨んだ。写真の長男と見えるのはライスリフターといって、もみすりの終わった米の袋を持ちやすいように腰の高さまで持ち上げてくれる機械である。30kの紙袋であるが1シーズンに1000袋も持ち上げるとなると腰にかかる負担も相当なものである。そこでこのような機械が出番となる。
お米の入れ物も時代の流れとともに変わってきた。古くから俵の時代が長く続いていた。稲わらで編んだだけで小さな米粒が出てこないようにしている細工はたいしたものである。またその材料も稲わらをと資源の有効利用ではこの上ないし、なによりその加工は農家の冬仕事となっていてまったく無駄のないものであった。その後、麻袋から樹脂袋になり現在は紙袋になっている。俵から樹脂袋までは重さも60kg入りでこれを下から肩まで持ち上げかついで歩けることが一人前の百姓の条件であった。その後、農業の兼業化や高齢化が進んだことから紙袋になるときに重さがそれまでの半分の30kとなった。当時は重さが半分になったことで動かす数は倍になり腕に覚えのある人は紙袋を嫌っていた。が、年を重ねた今では30kになった事を喜んでいる。数が増えるだけでなく、それまで紙袋を使わなかった事には訳がある。米の格付け検査の時に「サシ」といわれる先のとがったものを袋に突き刺してサンプルを取り出す。紙袋を除いてはその穴に手を掛けなくても米がこぼれない程度まで自動的に復元する。紙袋だけはそうは行かず、紙袋になってからは穴にシールを貼るようになった。
今年は機械の長男だけでなく本当の長男も転勤で家から職場に通っており、連休にだいぶ手伝ってもらった。この機械の名前を付けた人も長男のありがたさを身にしみて感じた人だったんだと思うこのごろである。
「わら焼き」 2005.11 No85
何十年ぶりに刈り取りの終わった田んぼの稲わらを焼いた。
コンバインが入りはじめた20数年前はわらを焼く光景があちこちで見られ秋の風物詩といった感じだった。コンバインを使うようになって生わらが田んぼに入りそれが分解するときのガスが生育を阻害することからわら焼がはじまった。その後生わらを入れ続けたことでわらを能率的に分解する微生物が土中に多くなり焼く必要がなくなった。
稲わらは大事な有機質の供給源なので焼くなんてことはもってのほかなのだが今年はやむ終えず焼くことにした。有機農業をしているものがわらを焼くなどということは「言語同断」に事で近所からも遠回しに嫌みを言われた。
稲わらを焼いた原因はフタオビコヤガ(イネアオムシ)と呼ばれる虫が発生したことである。この虫は小さいアオムシなのだが繁殖力が旺盛で無農薬の田んぼを中心にだいぶ葉っぱを食べられた。最初はイナゴが食べているものと思っていたのだが様子がおかしい。良く見ると小さいアオムシが葉に付いていた。幸い出穂の時期からだいぶ経ってからの食害だったので大きな影響はなかったのだが調べてみるとわらに卵が産み付けられて越冬するらしい。農薬には弱い虫なので適期に防除すれば一網打尽なのだが無農薬の田んぼではそうはいかない。
地元の指導機関で相談したところ、わらを焼く事ぐらいしか手はないだろうとのこと。そこでやむを得ず田んぼに火を放った。わらを焼いた後のたんぼはご覧のように真っ黒になりかなり抵抗のある姿となった。
無農薬で栽培を続けて行くことで虫や病原菌の密度が高くなって行くことは様々な事例から明らかになっている。物理的に虫を減らすとなればこのような手段も仕方ないことと割り切ったわら焼きだった。
「さわのはな金賞受賞」 2005.12 No86
今年も米の食味コンテストの時期になり、横澤のさわのはなが本選にノミネートされたといううれしい知らせが飛び込んできた。これまでもさわのはなでエントリーを続けていたのだが今一歩及ばず本選に残ることが出来ずにいた。それには訳があり、過去2年間はさわのはなの属する品種部門が昨年は「ひのひかり」一昨年は「ササニシキ」と非常に出品数が多い部門で善戦はしていたのだがわずかに入賞まで届かなかった。
今年はさわのはなが山形県の品種ということで「はえぬき」と一緒になり、十分太刀打ち出来る要素が整った。さわのはなのエントリー数ははえぬきの5分の1ほどなのだが分析機のスコアを見ると十分行けそうである。
この部門の分析機での予選を通過し本選へのエントリー数は3。はえぬきが2に横澤のさわのはなである。千葉市で行われた本選は官能試験となり、硬さが同じになるように水分に応じて水加減を調整して炊きあげた各々の米を30名が食べ比べ旨かったと思ったものに投票するという単純なものである。もちろん審査員には出品者が特定できないようになっている。審査員は米に係わる仕事をしている人たちが中心の食味鑑定士が15人それに地元の一般の老若男女15名の30名である。
結果は30票中横澤のさわのはなに13票が入り見事金賞に輝いた。あとで試食用に出された3品を食べ比べてみたのだが十分差が分かり、納得の金賞だった。
これで、昨年、一昨年の私のはえぬきの金賞から3年連続の部門制覇である。何よりも私たちが復活を目指す「さわのはな」で金賞を受賞し、そのおいしさを客観的に示すことができたことがとてもうれしかった。
この夜の酒はとてもうまかった。最近自重気味だった横澤もこの日は久しぶりに酒量が増え、2人で心地よくこの10年を振り返った。
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