さわのはな歳時記 2007年1月〜12月

一年の計は一生の計 2007.1   No99 


 とても清々しい新年を迎えた。昨年は大雪で集落の守り神に行くにも大変な年だった。新年の天候とは裏腹に、国の政策による米作りの大転換点がすぐ目の前までやって来ている。昔はこうした政策には集落や地区単位で取り組むものと相場が決まっていたのだが、この度は大規模農家と小規模の農家を切り分けてしまおうという意図が見え隠れするのでなかなか論議が深まらない。さらに今まで行政が音頭をとってやってきた生産調整が今後は農業者(集荷業者)が中心となって行うシステムに変わることから実効が疑問視される。今まで、地域との関係を考え自分を押さえながらやってきた我が家の農業経営自体を考え直さなくてはいけない時期に来てしまったようである。
 さて、新しいカレンダーを見ていると7日と8日が赤くなっている。最初8日の休みがなぜなのか解らず友人に聞いたところ「成人の日」なのだそうである。15日の「成人の日」が動くようになったのであるから、たまに15日が休みになるのが当たり前だと思うのだがどうもそうではないようだ。私たちの集落でも個人ではやる人が少なくなったが小正月行事「さいとう焼き」が一四日地区民総出で行われる。(我が家では毎年一五日に単独で行っている)この祝日の移動や米改革を見ていると、脈々と受け継がれてきた伝統とか頬に刺さる雪の冷たさ、逞しくもデリケートな作物の成長を触れたことも感じたこともない人たちが政策を立てていることを感じる。
 新しい年のスタートにあたり今年は声を上げる事よりも、実践で見せて行く年にしたいと村の神様に誓った元旦です。今年も後押しをよろしくお願いいたします。
 


元旦は集落の高台にある守り神にお参りします。

新品種に名前を授けて下さい 2007.2   No100
 一昨年から取り組んできた新品種の登録へ向けての動きが本格的になっています。先日、長井市内で新品種の試食会を行いました。事前PRを行う期間も限られていたのだが会場には多くの人たちが訪れ、新品種の味を試していただいた。
 私たち、さわのはな倶楽部では山形の伝説のおいしい米「さわのはな」の復活を目指し、お米の生産販売だけでなく、農家への種子の供給も行って来ました。この新品種は4年前種子栽培の原々種圃場の中から生育状況の違う系統を見つけ分離して観察してきたものです。この系統は親であるさわのはなの持つ良食味を引き継ぐ事はもちろんのこと、さわのはなに比べて出穂が遅いこと、さわのはなの欠点とされる乳白粒の発生が少ないことから近年の温暖化傾向の中でも高品質、良食味を発揮することが期待できます。
 新品種は申請すればOKというものではなく、申請時に種子を添付し公的機関で再度特性試験を数年行った後、登録の可否が決められます。登録申請にあたりこのさわのはな系の新品種名前を募集しています。多くの方々に応募いただき素敵な前を授けていただきたいと思っています。
名付け親になっていただいた方にはお礼としてお一人に新品種1年分(60kg)を、10名の方に10kgを差し上げます。(お届けは19年秋になります)

新品種試食会その2 2007.3   No101 

新品種試食会その2
 さわのはな系新品種の2回目の試食会を3月1日に行った。前回の試食会は新品種の食味、食感を多くの人に試してもらうためのものだったが今回は提出する申請書類に反映させるためのもので、新品種のほかに親である「さわのはな」基準品種として「ササニシキ」の3種類を同じ条件で炊飯し食べ比べた。
 炊飯の難しさは水加減であるが、これも食味評価方に基づいて各品種の白米の水分を測定しそのの水分に応じて水の量を調整、同じ浸漬時間ののち炊飯を開始するという方法で行った。もちろん炊飯器は3台とも同じものを使用した。評価項目は外観、香り、味、粘り、硬さの5項目で各々基準品種を0とし+−5段階で比べるというやり方である。
 比較したものが「さわのはな」は横沢の金賞米、ササニシキも食味値88の米ということでちょっと心配もあったが、基準米の「ササニシキ」を上回り、金賞米の「さわのはな」に迫るポイントだった。
 この比較試験の結果、新品種の特性として、炊きあがった直後はやや柔らかい、冷めたときの粘りは3つの中で1番強い、冷めても固くならないという特性がはっきりしてきた。
 この評価法では、硬い方がポイントが高いことから「さわのはな」がわずかに新品種を上回ったがお米の硬さは好みで分かれるところであり十分満足できる食味だった。
 この試食会の結果でますます新品種に自信を持ったところである。
(品種名に600もの応募がありました。ただ今選考中です。)
 

新品種の名前は? 2007.4   No102
 さわのはな系新品種の名前に全国から600を越える応募をいただきました。300位集まれば良いかなと思って始めたのですが予想を大幅に上回る数が集まりうれしい悲鳴となりました。
 名称の選定は私たち新品種の育成に関わったものの他に、女性を中心とした食の道、キャッチコピーの作成に通じた人たちに加わっていただいた。新しい名前を付けるためには、今まである品種の名前と重複しない事の他に商標登録の有無も調べなければならず事前調査としてこれが大きな仕事になった。さらにこちらでいくら調べても「類似」に該当するとだめということなので実際には申請後の審査待ちになるのだが出来るだけ審査を通りそうな名称の選択が必要になる。
3月8日に行われた選考委員会では事前に各委員から絞り込んでいただいた名称を中心に議論をしたのだが、魅力的な名前が多く、予定した時間を大幅に延長しての作業となりようやく決定した。
 一押しのものが決まり、本来ならここで発表となるはずだったのだが、関係機関からある情報が入り検討した結果当日の発表を見送る事になった。その情報とは、近年公募した名称が関係のない人の手によって事前に商標登録され実際にその名称を使う時になって使えないとか買い戻すと行ったトラブルが続出しているというものだった。どうやら、商標を取り巻く新手商法のようである。
 このようなことから、新品種の発表は農水省の審査が終わる6月まで延期という事になった。当日来ていただいたマスコミのみなさんごめんなさい!
 新品種にふさわしいとっても良い名前を授けていただけそうです。ご期待下さい。


原風景 2007.5   No103
 かなりの紆余曲折があったものの今年は全面積で米を作付をする事にした。全面積作付を宣言してから1ヶ月ほどの間、近所の人から市役所の担当者まで様々な人とやりとりがあった。その中から見えてきたのは、政策や米を取り巻く状況が大きく変わったのにまったく変わらない集落の縛りに頼った旧態依然の末端での対応である。そのような中でも何とか対応しなければという考えはあるようで多くの人たちの間で調整が図られ、痛み分けの形で今年の米作りがスタートした。
 生産調整が始まったころは、日当たりの悪いところやたんぼの形が悪いなど条件の悪いところが転作や休耕に当てられた。だんだん生産調整の割合が高くなるにつれ、米以外の作付からの収入も見込まなければならない状況になり一等地のたんぼもほかの作物の作付が行われるようになったが、そこから収益をあげることは難しい事である。一等地のたんぼは「いつかはまた米を作るぞ」という意識が強く働いて、いつでもたんぼに戻せる状況になっている。
 代掻き作業になりいままでかなり長い間畑状態になっていた一等地のたんぼに水が注がれた。耕耘作業の時は何も感じなかったのだが水の張られたたんぼに入るとうれしさがこみ上げてきた。というよりたんぼの喜びが感じられたというべきなのだろうか。やはり、当たり前のことだがたんぼにはこれが一番似合っている。
水が入ったとはいえ、長年畑状態が続いてきたたんぼである。この先どのような状況になるのか用心しながらの米作りが始まった。


行者菜 2007.6   No104 

 私たちが中心となり長井から新野菜「行者菜」がデビューした。この野菜は「行者にんにく」と「ニラ」を交配したもので宇都宮大学農学部が中心となり開発されたものである。
 私たちと宇都宮大学農学部の交流は宇都宮大学が主催する「大根サミット」にスローフード協会国際本部から「味の箱舟プロジェクト」に認定されたことで知られる地大根復活作戦「ねえてぶ花作大根」が参加した事に始まります。
 2005年11月「大根サミット」の懇親会の席で当地域とゆかりの深い藤重助教授から新作物(まだ名称が決まっていなかった)の話しをお聞きし、その後育成現場の視察など情報交換を重ねまた。
 さらに育成中の「行者菜」を試食しその魅力を確認しました。地元の「行者にんにく栽培グループ」や料理店などで試食を行った。その結果、きわめて好評であり,長井での試験栽培を進めることになりました。
 2006年4月に試験栽培契約を結び、農家7人が長井での産地化を目標に、育苗から株の生育まで当地での適応性を試験してきました。その結果、長井での栽培が十分可能であるとの確証を得ました。
 昨年1年間は株の育成と試験栽培のためかん口令がしかれ、話し好きの私はのど元まで出かかっているネタを封じ込めるのに苦労した。
 5月11日「行者菜」がいよいよ出荷を開始し、滋養強壮や血液さらさらなどの「行者にんにく」の特性を強く引き継いでいることから注目を集め、まずまずの滑り出しとなっております。
 これから、10月頃まで収穫ができそうなのでぜひお試しいただきたいと思います。

 


行者菜生産グループのメンバーと

さちわたし 2007.7   No105 

  さわのはな系新品種の名前をいよいよ発表しました。決まった名前は「さちわたし」。お米のおいしさと私たちの思いがこのお米を通して多くの人たちに伝わってゆきますようにという期待が込められています。
 選考は3月に終わっていたのだがトラブルを避けるため新品種としての農水省への申請、特許庁への商標登録の申請と一連の手続きが終わるまで発表を遅らせていた。名付け親は東京町田市の松井さん。27歳の学生さんである。600もの応募の中から選ばれました。
写真は先日行った名称発表会の様子です。これまでの経過の説明と名称の発表、親である「さわのはな」、「ササニシキ」との食べ較べも行った。いずれもおいしかったのだがその中でも「さちわたし」の食味は好評だった。
 その後、各選考委員から一言ずつコメントをいただいた。選考委員のひとりであり、12年前私たちに「さわのはな」が食べたいと放言し私たちをここまで誘導した影法師の仲間、青木の「ついにここまで来たか」という言葉が印象的だった。これから、商標の審査に半年、新種の栽培試験に数年を要して新品種として認められるかが決まるのだがここまでの道のりを考えると感慨深いものがあります。口の悪い友人からはからは「優しい名前でおまえには似合わない」と言われていますが、名前は私を現しているものではなく、この新しいお米をとても良く表していると思います。(本当は私優しいのですが・・・・)
 ここまで来る事が出来たのも、多くの仲間たちの協力と何よりもさわのはなを熱烈に愛してくれた皆さんのご支援があったからです。これからもよろしくお願いいたします。


名称発表会の様子

デジガモ3号 2007.8   No105 

 アイガモの代わりにロボットに除草をやってもらおうという全自動除草ロボット「デジガモ」計画が3年目を迎え、今年はいよいよ稲のあるたんぼに挑戦する事になった。
 この計画は私がアイガモ除草の欠点を克服するための除草ロボットのアイデアを地元の長井工業高校に持ち込み、毎年3年生が引継ぎながら改良を加えてきたものである。試験走行当日は3年目にもかかわらずほとんどの報道関係者が集まった。集まった報道各社の脳裏に焼き付いているのは初年度の走行試験の時たんぼの中でまったく動くことができなかった1号機の様子であろう。まったく動くことができなかった「デジガモ」がその後どうなったか見たいという心理が働くのは私だけでなくマスコミ各社も同じなようである。
 1年目の失敗を踏まえ改良を加えた結果、2年目は泥の中の安定走行、方向制御がほぼできるようになった。いよいよ今年は本物の稲の中での走行である。さまざまな改良が加えられた3号機は陸上では障害物を避けながら走行し旋回もできるようになった。しかし、水の張られたたんぼの中でセンサーが稲をうまく感知して動いてくれるのか不安も大きい。
 そしていよいよスタート。長さ40mほどのたんぼに放たれたデジガモは見事に稲の間を株を避けながらどんどん走行していった。大成功。そして旋回。残念ながら旋回は泥に取られて小回りができずが隣の稲に乗り上げてしまった。今一歩改良が必要なようである。 世の中にない、全自動の除草ロボットがまた一歩完成に近づいた。
 夜のたんぼでランプを点滅させながら「デジガモ」が動き始めるのも間もなくだろう。
 この3年間の様子は日本テレビ系で8月12日24時30分(13日0時30分)から全国放送されます。

みのりの秋と農水大臣 2007.9   No107 


 「美しい国は戦争のできる強い国でなければなりません。そこで防衛庁を防衛省に格上げしました。また美しい国は環境も大事です。もはや役目を終えたと思われる農林水産省を環境省の下部組織にして農民の皆様には環境を守ることに専念していただきたいと思っております。」これは影法師が歌う最近の「ある農業青年の主張」の一節である。鬼門となった農水大臣はしばし不在となり農水省はしばらくの間環境大臣の下に置かれるというこの歌が予言したとおりの前代未聞の状況となった。
 この状況を打開すべく登場したのが我が山形県出身のそれもお隣米沢市出身のお方である。彼のキャッチフレーズは「地方が良くならなければ日本は良くならない」である。地元の農業共済組合の組合長を何十年も続けているという地元では知らない人がいない名士である。全くの農業畑の人であるから、郵政民営化の時の腰砕け状態や、就任の記者会見での「農水大臣だけはやりたくなかった」発言があったけれども他の人がやるよりは農家の方を向いてくれるのではないだろうかという淡い期待があった。
 その期待はわずか数日で消滅した。足元の共済組合の不祥事からわずか1週間で職を辞することとなった。共済事業にとどまらず、農業関係の事業には補助金が付きものである。この補助金の内容を微に入り細に入り調べれば埃もそれなりに出てくることだろう。
 こんな行政の停滞とはまったく関係なく今年も間もなく収穫の時期を迎えようとしている。稲穂は「補助金が無くとも米は稔るんだよ」と言っているようである。
そして独立独歩の道を歩き始めた我が家は、はじめて転作補助金のない秋を迎えようとしています。

ダブルネーム 2007.10   No108 

 刈り取りが終わったとたん一気に寒くなりストーブの登場となった。この数年、季節の変化が大きく極端に振れる事が多くなったような気がする。今年は梅雨が極端に長く成育の遅れ、稲の軟弱化による病害虫の発生が心配されていた。ところが長い梅雨が明けたとたん猛烈な暑さで、その遅れを一気に取り戻すこととなった。
 しかし、一気に生育のスピードは追いついたとはいえ稲の軟弱化は避けられず、近年になく「いもち病」が見受けられる年となった。わが「さわのはな」はいもち病に強いことが特徴の品種だけあって他の品種いもち病に感染する中、きれいなたんぼを守っていた。
 今年のような暑い夏の場合は斑点米の原因となる「カメムシ」が大発生する確率がひじょうに高くなるのだが予想に反して、発生は少なかった。「カメムシ」だけでなく昆虫類一般に発生が少ないようで我が家では蚊取りマットをほとんど使うことなく夏を過ごした。虫の発生が少ない傾向は今も続いておりたんぼの「イナゴ」も極端に少なく、貴重なカルシウム源が今年は期待できないようである。
 こんなどこかおかしい天候の中でもお米を作ることは続けて行かなければならない。そこで期待されるのが新品種「さちわたし」である。今年も他の品種と比較試験を行っている。いもち病は親のさわのはな譲りの強さが証明された。出穂が遅いことから品質もまずまずのようである。毎年、毎年天候が違うことから、その品種のさまざまな顔が見えてくるのも心配の種であると同時に楽しみのひとつである。
 写真は等級検査を受けた「さちわたし」で見事1等である。まだ品種登録が完了していないので親品種の「さわのはな」での受検となり欄外に「さちわたし」のシールが貼られてダブルネームの状態である。早く品種の欄に「さちわたし」と書ける日が来て欲しいものである。


彦太郎糯 2007.11   No109 


 また、なくなろうとしていた在来の品種が私たちの前に現れた。今度はもち米「彦太郎糯」である。 きっかけは私たちが取り組んでいる新野菜「行者菜」の生産者グループの中にわら細工の達人がおり、たまたま畑を見に行ったついでにわら細工用の稲を紹介されそれが「彦太郎糯」だった。大正時代に山形県の遊佐町で常田彦吉という人が育成したもち米で遊佐町の若手農業者が復活活動をしていたのは知っていたが、まさか自分たちの目の前に現れるとは思っても見なかった。
さっそく種を分けてもらい栽培してみた。最近のもちの品種は早生と相場が決まっており早く穂が出るため雀やカメムシの標的になることが想定されるため対策を行っていたのだが予想に反して晩生の品種で雀の害やカメムシの食害とは無縁のようである。わら細工に向いているだけあって草丈がひじょうに長いだけでなく、とても柔らかく細工にはもってこいである。ただ、この長さ、柔らかさが機械化に向かない原因となり他の品種に取って変わられたことは容易に想像できる
 さて、味の方はどうだろう?ということで試しに搗いてみました。(写真)とてもおいしい餅になりました。この度もち米をご注文いただいた方々にはこの「彦太郎糯」をお送りしております。量が限られておりますのでご注文全て行き渡らないのが残念です。
 来年はもう少し面積を増やしてもっと多くの人に味わってもらおうと思っています。
「糯(もち)」は搗いて餅にする品種を意味し「餅」は食品として加工されたものを指すそうです。


「彦太郎糯」おいしそう

特別優秀賞 2007.12   No110 


 今年も米食味コンテストのシーズンがやってきました。
 今年は全体的は、ほぼ平年並みの食味となったのだが、生育期間、特に穂が出たあとの温度が高過ぎたのが災いしたのか突出して食味の良い米が出ないのが特徴の年である。加えて今年から我が「さわのはな」の部門には有名な「あきたこまち」「ササニシキ」「ひとめばれ」といった東北の有名品種が一括りにされ、しかも品種が増えた割に予選通過枠は1つ増えただけの4と激戦が予想された。コンテストには出品したもののいつもの年と比べればやや弱気で予選の結果を待った。
 予選通過の連絡が入ったのは10月の中旬、コンテストの10日前だった。予想どおり品種の数が増えたことで出品数も5倍となり激戦となったことから当倶楽部で予選を通過したのは私の「さわのはな」のみという結果だった。本選当日は影法師の「行脚中」のため県内から本選にエントリーされた仲間にその結果と表彰の代理受領をお願いをした。
 さてその結果は。金賞には一歩及ばなかったものの「特別優秀賞」をちょうだいしました。当倶楽部で4年続いた金賞が取れなかったのは残念だが250もの中から入賞できたことを喜んでおります。これで私のコンテストでの入賞は金賞が2回、特別優秀賞が2回となり主催者である米・食味鑑定士協会の定める「名稲会」(金賞3回、または入賞5回)入会まであと1回のリーチとなりました。
 全参加者(約2100)の分析一覧を見ていたところコンテストの開催地である島根から私たちのスコアに迫る「さわのはな」の出品があり驚いた。「さわのはな」は暖かい地方には適さないものと思っていたのだが栽培方法次第でこのような結果を導き出すことが可能な潜在能力を持った品種であることを知らされたコンテストだった。


内谷新市長にご報告

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