「楽しんで作らなければ おいしさは伝わらない。」 2009.1 No123
今年も年賀状をたくさんいただきました。取り組む作物、ジャンルが多くなるにつれて年賀状の数もどんどん増えて行きます。その中に私の活動に興味を持ち、通ってくる学生からのものが目立つようになってきた。
その中にハッとさせられるものがあった。数年前に大学を卒業し今は地元に戻り市役所の農政課に勤めている人からのものだった。卒業論文を書くために調査に来た時、私が発した言葉「楽しんで作らなければ、おいしさは伝わらない」がとても印象に残っていると書いてあった。思わず「そうだ!」と叫んだ。
あの頃から手掛けるものが多くなり、充実した毎日ではあったが肝心の遊び心は失くしてはいなかったか?そう問いかけられた一枚の年賀状だった。
この忙しさにもかかわらず年末に漬物加工所をオープンした。加工所の名前は「ひなた村」。この名前は影法師が音楽以外の行動をおこす時に使っている名前で、温かい、人とのつながりを目指して付けられたものである。モットーは「あそびをせんとや生まれけん」である。
加工所のオープンを機会に、長い間受け継がれてきた伝統の技の伝承と新しい魅力の発見に、遊び心を持ってチャレンジを始めます。
どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
「学習機能不全」 2009.2 No124
また減反を始めとする農政論議が再燃している。減反をやめて米の価格を下げ輸入関税をなくし国際競争力をつけるのだそうだ。価格が低下するので1戸で40haの耕作面積が必要だそうだ。こんなことで国際競争力がつくんだったら八郎潟や北海道の農業はとっくの昔に輸出産業になっているはずである。他に原因があるのがわかっているのに何を今さらである。
新自由主義にのっかた資本の集積が進み、全国で大型店が猛威を振るい個人商店が軒並み姿を消した。大型店は出店した地域から金を吸い上げ尽くすと、即閉店してトンズラである。その後には廃墟と買い物に行く場所が無いという現実だけが残る。
農業に企業が参入するのも耕作放棄地が増えるよりは良いだろう。ただし彼らは金のためだけに来るのである。そこに住み続けて土地を守ってきた人のような責任感など持ち合わせていない。地域や文化を壊して行く大型店の過ちをまた農業でやろうとしているだけではないのか。そうだとしたらまったく学習機能が働いていない。
写真は我が家の西側の山から見た風景である。散居集落と言って家々が豆をまいたように点在している。農業という仕事と生活の場が一緒だからこそ生まれた風景である。
1戸が40ha耕すという事は、私の集落がちょうどこの面積で現在27戸が住んでいる。一人の農業者にそこに住む意味はあっても残りの26軒にそこに住む意味はなくなるのである。みんないなくなったところに私だけが40ha耕して住み続ける魅力はない。
経済よりも人とひとの結びつきを大切にする、新しい形をみんなの知恵でで作り出すための活動に踏み出してゆきたいと思っている。「馬のかみしめオリジナル菓子」 2009.3 No125
馬のかみしめオリジナル菓子
県内の方は新聞各紙で大きく取り上げられたのでご存じの方も多いかと思いますが3年ほど前から取り組んできた在来の豆「馬のかみしめ」を使ったオリジナルお菓子の試食会を行いました。
「馬のかみしめ」は昔、長井市を中心に作られていた在来種の豆で大豆にしたときに豆の表面に馬の咬んだような跡があることからこの名前が付いたと言われている。この15年ほどはすっかり姿を消し絶滅したと思われていた。3年前仙台の豆屋さんと契約栽培をしていた近所の人が高齢になり作付が困難になったことからなんとかして欲しいと我が家に持ち込まれた。この3年間枝豆の時期と大豆の時期の2回の試食会を行いながら特性を確かめていた。昨年の10月、枝豆の時期の試食会に若手の菓子職人を誘った。枝豆の味は香りや甘さは今の品種に劣るものの咬めば咬むほどコクのある味が彼らの舌に適った。稲刈り時期にもかかわらず早速茹でて、はじいて、冷凍し、お菓子になる時を待った。
試食会当日は若手菓子職人集団「長井菓匠倶楽部」の面々が作ったオリジナルのお菓子がまんじゅうから生キャラメルまで14品勢揃い。さすが職人さん、大方の菓子が「馬のかみしめ」の風味を存分に引き出ていた。今回のものをレベルアップしてこの秋から何品かが製品としてお目見えする予定となった。とても楽しみである。
お菓子と平行して味噌造りも始まり、こちらは「ひなた村の逸品」として販売を開始します。こちらもどうぞよろしくお願い致します
「閉店間際のスーパーマーケット」 2009.4 No126
「閉店間際のスーパーマーケットの総菜売り場はお得感がいっぱい」のはずだったのだがこのところ我が家では閉店間際だけにとどまらず総菜売り場から足が遠のいている。
原因は安部司氏の講演会。ご存じの方もいると思いますが食品添加物の大家である。講演は80種類ほどの白い粉(食品添加物)を自由自在に操り、粉だけでラーメンスープからオレンジ、ストロベリーなどの各種ジュース、果ては色の悪くなった食品の再生まで行う。講演の最後に試食(試飲)で飲んでみるとこれがまたいつもの味でとてもおいしい。いかに添加物に毒されているかがわってしまう。(写真)
折しも漬け物加工所を立ち上げたばかり、さらに長男の嫁はお腹には赤ちゃんがいるという状況から講演を聞いた後の食卓はちょっと変わってきた。いつまでたっても腐らないサラダは食卓から姿を消し、手作りに。インスタントラーメンも御法度となった。
もともと自分の家で作ったものを中心にした食事であるから、農家以外の方々の食卓から見れば農薬も添加物も少ないと思うのだが舌は完全に添加物に犯されていたようである。
私のモットーは「自分が食べたいものを自分の食べたいと思う作り方で育てる」である。生まれたものをそのままに食べることができるのは農家のそして田舎に住むものの特権であるからこれを誇りにして生きて行くのもありかな、と思った。
ちなみに「ひなた村の逸品」の漬け物は無添加だし、「行者菜」は無農薬栽培でお届けします。ぜひお試しください。「現場の声は農政に届くか」 2009.5 No127
珍しく東京からの新幹線の中でこの文章を書いています。春作業が始まってからの遠出はただでさえ不足している時間をますます乏しくし、車中での格闘となった。
この忙しさの中わざわざ東京まで出かけてきた理由は某政党の「農家の声を農政に届ける会」の案内があったからである。もちろん現政権の党ではありません。
現政権の農政はすでに破綻しているし、出てくるものはどうやったら貰えるかわからない、何のためのものかわからないようなばらまきの補助金ばかりで、説明をする末端の行政の職員も説明に苦慮する始末。景気対策に地方の高速道路を1000円均一にするのと同じ発想の今までの既得権益を守るような施策ばかりである。
「抜本的な農業の立て直し(私は地方の立て直しだと思っているが)には今までのしがらみに縛られない抜本的な改革が必要だ」と思っているのは私だけではないようで永田町に北海道から九州までたくさんの産直を行っている農家が集まった。
具体的な活動はこれからなのだが集まった面々の発言の端々には期待の高さがうかがえた。支持政党はどうあれ、日本全国どこに住んでいても生活不安が付きまとうというのは異常だし、農家の人材不足はあたりまえ、ましてや少子化を云々言う以前の問題である。
今回の話の中で印象に残った発言がひとつ。「ひとつの産業で人間が生きてゆけるのは第一次産業だけである」まったくその通りなのだが、人の命よりもお金を大事にするこの時代では説得力に欠けるのは否めないが、そんな価値観になることを夢見て発言して行きたい。
永田町ではこんな撮影もモデルは麻生&小沢秘密兵器「アゼナミ」 2009.6 No128
アイガモ除草の無農薬・無化学肥料栽培に取り組んでから10年が経過した。最初は何もわからず試行錯誤の連続であったが良き指導者に恵まれ大きな問題もなく今に至っている。
アイガモ除草の基本的なやり方自体は変わっていないのだが、温暖化などによる環境の変化や農薬を使わない事での害虫(人間主体の表現です)や雑草(これまた人間主体の表現)の密度が上がってきており毎年すこしづつ工夫が加えられている。
ここ数年の問題は田植え直後の「イネミズゾウムシ」。田んぼの畦で越冬し、田植えが始まると同時に田んぼに侵入、稲を食べ、食べ尽くすと土の中にもぐり今度は苗の根に幼虫が食らいつき、ひどいときには株ごと無くなってしまうという困ったやつです。
アイガモを田植え直後から投入できれば食べてくれるのだが、苗が活着していない田植え直後の田んぼをアイガモが走り回ると「イネミズゾウムシ」以上のダメージが出てしまう。これまで苗に木酢液を散布して田植えをしたりしたのだが効果は今ひとつだった。
何か良い方法はないかとインターネットで探していたところ、アゼナミと呼ばれる漏水防止のシートを畦から40cmほど離れた所に立てておくと「イネミズゾウムシ」がアゼナミを登れず中は食害がないという情報を見つけた。
早速実践、田んぼのまわりをアゼナミで囲いました。効果抜群で写真のようにアゼナミの外側はたくさんの「イネミズゾウムシ」がいるのに中は全くいません。作戦成功!
こうしたローテクで効果があるというのは気分が良いもんです。
「子供が生まれると田んぼを増やす」 2009.7 No129
ついに「祖父さん」になってしまいました。
同居している長男夫婦に男の子が生まれました。「孫は子供より可愛い」と言われていますがまだ実感が湧きません。
このあたりでは出産は実家に里帰りしてする人が多いのですが、実家が共働きのため生まれるまで一緒に生活していたので、自分の子供が生まれるときよりも「ドキドキ」でした。
子供が生まれるという話題が出ると思い出す事があります。それは西日本に良く見られる石積みの小さい田んぼです。「昔は子供が生まれると田んぼを拓いたものだよ」と聞いたことがあります。それだけ田んぼから穫れるお米が大事な時代だったことと、平場が少ない土地柄がうかがえます。
このような石積みの田んぼは東北ではほとんど見られません。このような石積みの立派な田んぼを見るとその労力と芸術的な形に思わず敬意を表してしまうのですが、実はこの石積みのある地方ではたんぼの中からごろごろ石が出てくるため、遠くへ運ぶよりも畦に積んで利用してしまった方が効率的という理由があることを最近聞きました。
何はともあれ、せっかく拓いた田んぼが末永く大切に利用できる世の中にしていかなければと思った孫の誕生でした。
「最近の梅雨」 2009.8 No130
ちょっと前までの東北の梅雨時期は、肌寒い日が多くなりストーブが登場する年もありました。7月の下旬に低温があると穂の発育に大きな影響が出る事から梅雨時期の気温で不作になる年が発生したものです。近年の梅雨は気温が低くならないで、雨量が多くなり日照が極端に少なくなる傾向のようです。
稲は穂が出るまでの期間は温度に左右される傾向があるため、野菜などと違って日照不足が生育に与える影響は気温が低い場合よりも少ないようです。ただし日照不足は稲の体を軟弱にするため病気に対する抵抗力が落ちていもち病が発生するようになります。
数年前同じような年があり、いもち病が大発生しました。その経験から予防的な防除を行う人が多くなったことから今のところ大発生までは至っておりません。
さて、有機栽培や特別栽培で農薬を使わなかったり、使用を制限している場合はどうしているかといえば基本は「風の通りを良くする」ということになります。風の通りを良くするには面積あたりの茎数を減らします。結果、収量は茎数の少ない分だけ少なくなります。このほかにも木酢液の散布などもしますが、やむを得ず被害に合った場合は物理的に被害粒を除くことになります。具体的には選別網の網目を大きくする、色彩選別機で除去するということになります。農薬を使わない分、通常は使用しない機械や作業が必須となってきました。
このような作業は特別なことではなく皆さんにお送りしているお米は玄米も含めて、いつもこのような行程を経てお届けしています。
穂が出ました。白いのは花です。
「総論賛成でも・・・」 2009.9 No131
衆議院選挙は予想どおり民主党の圧勝となった。
選挙期間中には日米FTA締結の問題が農協組織から非難され、それに対して小沢さんが「農家には戸別所得補償制度の導入を提案しており日米FTAを締結しても矛盾しない」と思わず本音が飛び出したにも関わらず農村部でも圧勝となった。
日米FTAやWTOの問題はこの先の日本の農業を語るときに避けて通れない問題であり、今までなんら具体的な対応を示してこなかった与党よりも「個別所得保証制度」という民主党の具体的な提案にすがるしかないというのが今の農村である。
民主党の政策のほとんどにいえることであるが、この「個別所得保証制度」を実行するためには今までの補助金を一度白紙に戻して財源を確保しなければならない。これまでの補助金は複雑怪奇なルートを経由して農家に到達していた。この道程でお金は漏れだし、結果農家へ渡る分は大きく目減りしていた。また要望を吸い上げるためのルートはこの逆ルートとなるため中間の意向の方が強力で農家の意見はなかなか反映されない原因となっている。
解散風が吹く中、「某党の農政に農家の声を届ける会」改め「食と農の再生会議」の会合があり各地から集まった農家から発言があった。感じたのは「日本は広い」。米に見切りをつけ畑作にシフトした九州から原料生産しかできない北海道まで様々な切実な要望が出された。変えなければならないという総論では一致しているのだが各地で必要なものをどうやって構築してゆくか難しい問題である。
このたびのチェンジは農業再生、地域再生のための最後のチャンスであろう。みんなの知恵を出し合って再生産のできる農業、消費者に喜んでもらえる農業にしていかなければならない。「稲麹(いねこうじ)おいしい印?」 2009.10 No132
久しぶりに「稲麹(いねこうじ)」を見つけました。歳時記を書くようになってから二回目です。前回はいつだろうと思って遡ってみると五年前の平成十六年でした。前回「豊作の印」と書いたのでどんな案配だったんだろうと調べてみると猛暑で収量は今ひとつだったようである。しかし、食味はとても良い年で各品種とも八〇以上のスコアが並んでいた。
その後、「稲麹菌」のことを調べてみると稲作の方では「病気」と捉えられていて殺菌剤での防除が勧められている。
前回、「稲麹菌は日本酒の基と言われているので、どぶろくでも造ったら」と書いていたのだがやはり十対一の割合で「コウジカビ」が入っていて三十五度で増殖し、麹菌を取り出すこともできるそうである。(恒温槽でもあればぜひやってみたいものである)
さて、今年はというと日照不足の影響で収量は今ひとつだった。その代わり食味は平成十六年を上回るスコアが出ている。猛暑だった平成十六年と比べると過ごしやすい夏だったことが食味の向上につながったようである。近年の温暖化傾向で高温による稲体の消耗が激しくなり、品質が低下しがちだったのだが今年は適度な温度で過ごせたことが良かったようである。
特にさわのはななどの昔生まれた品種の健闘が目立つのは冷害気味の天候に強いからなのではないだろうか。
「食糧自給率」 2009.11 No133
先日、筑波大学附属中学校の中学生が勉強に来ました。(さすが筑波大附属中学、先生の引率なしでの来訪です。)テーマは「スローフード」。スローフード運動のひとつである「味の箱船プロジェクト」に認定された「花作大根(はなづくりだいこん)」のことを調査に来たわけである。
取り組みをひと通り話した後、漬け物の試食。予想したこととはいえ6人中5人が漬け物を食べたことがない。今の都会での食生活を絵に描いたようである。
最初はなかなか手を出さなかったのであるが食べてみると意外においしかったようで繰り返し食べる子も多数いた。
先月末、「スローフードニッポン」という行事が横浜で開催され花作大根も試食販売で出店した。あまり天気には恵まれなかったものの用意した漬け物は大好評で、一日半で全て売り尽くしてしまった。
「大根漬け」の消費が「キムチ漬け」に追い越されてから、だいぶ経つがそろそろ違うものが欲しくなる頃になったのではと思った。
中学生の最後の質問が「日本の食糧自給率が40%というのをどう思いますか」というものだった。それに対して私は「食料が輸入出来なくなっても私たちにはお米・大豆があり、生きてゆくことができます。そうなった時に困るのは誰ですか?」と答えた。その場ではそれ以上のやりとりはなかったものの、後で送られてきた報告書には「この話に考えさせられた」と書かれていた。
命の糧としての生産が持続可能なものとして続けられるように、食べ物を通して多くの人たちと出会い。想いを伝えてゆきたいと思っている。
「ダブル入賞」 2009.12 No134
今年も食味コンテストの時期がやってきました。7年連続の入賞を目指して来たのだがエントリー数が3000近い数になると上位では僅かな天候の差が大きくものをいうようで事前の情報では山形は相当苦戦しているとの事だった。
コンテストの10日前、主催者から電話があり、横澤のさわのはなが品種部門、私のさわのはなが用途別部門の最終選考に残ったとの連絡があった。久しぶりの二人でのノミネートである。大会当日、私たちは金沢での演奏が決まっていたたため、つれあいにお願いしての大会参加となった。
事前の情報どおり山形からのノミネートは少ない。昨年の半分以下である。最終選考は30人の審査員が目隠し(どれが誰のお米かわからない状態)で食べておいしいと感じたものに投票するという極めて単純な方法で行われる。用途別部門はご飯をそのまま食べ比べ、さらにカレーをかけて相性を確かめるというものである。
審査の結果二人とも金賞は逃したものの金賞に次ぐ特別優秀賞をちょうだいした。特に用途別部門では金賞まであと1票と大変悔しい思いをしたようである。
全体的にみると、梅雨から夏の低温、日照不足だった北の方ほど入賞者が少なかった。特に今まで右肩上がりで品質の向上が見られた北海道が入賞者ゼロという自然を相手にする農業の厳しさが感じられた大会となった。
わが「さわのはな」はこのような条件下でも食味が評価された。7年連続の入賞は、「さわのはな」が温暖化での高温から冷害気味の天候まで幅広い適応性を持った品種であることが証明されたと思っている。
遠藤、内谷長井市長、横澤