「さわのはな」その生い立ちと歩み

  ☆ 著 者 略 歴
著者近影

           ◎ 鈴木多賀(すずき・たが)

  大正 15年   山形県西置賜郡横田尻に生まれる。

  昭和 22年   山形県立農林専門学校農科卒
     25年   山形県立農業試験場尾花沢試験地に奉職
     34年   山形県立農業試験場置賜分場
     35年   山形県立農業試験場
     37年   山形県立農業試験場尾花沢分場(係長、分場長)
     50年   山形県農林水産部農業技術課(主任専門技術員、技術補佐)
     53年   山形県鶴岡農業改良普及所(所長)
     55年   山形県立農業試験場(企画連絡室長、副場長)
     57年   山形県立農業大学(校長)
     59年   退職
     59年   山形県経済農業協同組合連合会(審査役)
     62年   山形県産米改良協会(審査役)

  平成 2年   退職
    2〜6年   山形県作物品種審議会委員
      2年〜  技術士(農業コンサルタント)自営
      3年〜  山形県技術士協会理事兼事務局長

      現住所   山形県山形市西田

はじめに

 コメの生産と流通は大幅に緩和され、コメづくりは創意工夫の時代となった。輸入米との競合も視野に入れ、産地間、生産者間の競争にどのように応えていくか。

 産地は、自分たちのコメがどううまいか、どういう工夫がなされているのか、他のコメとどう違うのか、といったことを消費者に伝えることが大事となった。

 「ひなた村さわのはな倶楽部」の活動は、このことを考えたコメづくりのように思う。

 影法師の方々は、演奏活動だけでなく、山形が生んだ日本のおいしいコメのルーツ「亀の尾」を使った純米酒「鄙の影法師」の誕生や、山形の伝説のおいしいコメ「さわのはな」の復活に情熱を注いでいる。「さわのはな」の育種にかかわったひとりとして、その生い立ちと歩みを綴らせていただくこと、まことに感慨深い。

☆ 目  次

   0  扉のページ

   1   はじめに (現在のページ)

   2  「さわのはな」の誕生まで

   3  「さわのはな」の美味しさは時代の要請から生まれたのか

   4  「さわのはな」の魅力

   5  「さわのはな」の作付けはなぜ少なくなったか

   6  「さわのはな」は今の時代に通用するか

   7   むすび


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