(1)品種育成の昔と今 交配した2年目(F2)の稲は、厄介なほどバラツキが多い。「さわのはな」も3年自から病気や低温等に強く、品質のよい稲株を選んだが、この一連の作業がいわゆる「選抜」である。近年は高性能の機器で測定した科学的なデータを生かした選抜が可能となって、育種技術は進歩し、確率も高くなったのではなかろうか。 一方、「さわのはな」の育成に取り組んだ45年前は、天秤と物差しが機器(道具)であった。そこで、優れた品種を青成するうえで、 @交配親の選択眼 A観察力とひらめき B意欲と決断力 がごく大事とよく教えられた。科学的な機器の整った現代ではあるが、この3つが品種改良のカギとなることに、昔も今も変わりないと思う。 (2)「さわのはな」「美味しさ」選抜の決め手 1950年代の品種改良の「わらい」は、安定した良質多収品種の育成にあって、食糧不安の中だけに、品質・食味より安定多収が強く求められた時代であった。正直なところ「熟色と玄米の品質に引かれ選んだ材料が、幸運にも今も話題の美味しさを持っていた」のである。 東北農試より受けた材料(稲株)から「さわのはな」を選び出すために収り扱った個体は1万を超えた。年々草型等バラツキが少なく、いもち病や低濃や倒伏に強い稲株を残し、収量が少なく、米質の悪いものは借しまず捨てた。 1955年の秋は記録的な太豊作で、倒伏も多く穂発芽性の検定には最適であった。連日の観察調査で穂発芽の極めて少ない稲株を選んだ。これが「さわのはな」の系統であった。新米の食味はいうに及ばず、夏場に強い食味を持った「さわのはな」の選抜は、この穂発芽が決め手になった。また、この秋は際立って実りは良く、鮮やかな黄金色に色づいた稲に引かれ、夢の脹らんだ当時が改めて思い出される。 ☆ 目 次 0 扉のページ 1 はじめに 7 むすび |